朝、目を開けて、日が変わっているのを逐一、確認などしないけれど。
日付が変わる前に
9月28日。なんて事は無い極普通の日のはずだ。ロクシスの一般的な認識はその日が始まって直ぐに音を立てて壊された。
フィロ曰く――――ヴェインの誕生日、だそうだ。
その事実に衝撃を受けたのは言うまでもなく、無論、誕生日プレゼントなどという可愛らしい物を自分が用意しているはずも無い。元より、年を食ったというだけのくだらない行事に付き合う性分でもない。…それがヴェインの誕生日でなければ。補足しておくが、決して、先月の自分の誕生日に彼から何も無かった事を根に持っているのではない。決して。
つまりは、彼は激しく後悔していた。
珍しく早くに皆がアトリエに集まっていると思えば、気づいた時にはヴェインの誕生日を祝うべく豪快、かつ密かに準備を進めるグンナルに引きずり回され、フィロの爆発しかねない危険な調合のフォローに無理矢理入らされ、ムーぺの奇抜なケーキ作りを代わりに請け負い…今更、プレゼントを探す暇など無かった。そもそも、長らくヴェインを邪険にしてきた自分に彼の欲しい物等、分かるはずがない。
結局、何も用意出来なかった自分はいつものように憎まれ口を叩きながら宴に加わるしかなかったのだが…その時に気づけば良かったと、全てが過去形の中でまた後悔する。後悔先に立たず、とは先人も良く言ったものだ。グンナル主催の宴なんぞ、ロクな物がない。――思い出して、溜息が零れる。
宴で出された飲み物を口に含んだ瞬間、ロクシスは吹いた。行儀もへったくれも無い。
味には覚えがあった。一口含めば仄かに舌を焼き、喉を焼く味。鼻腔に抜ける芳醇な果実の香りが上品なそれ。――――ネクタル。酒だ!
これはまずい、と視線を仲間に向けるも既に遅し。次の瞬間に彼が見たのは場が誕生日会ではなく酒盛りに発展している、凄まじい光景。
グンナルが笑いながら水のように杯を傾け、張り合ったニケが同じく杯を煽る。フィロとパメラは只管、けらけら笑い、アンナは部屋の隅で壁相手に武士道を語る。ムーぺに至っては…いや、これは思い出さない方が良いだろう。…そんな光景だったと思う。
日付も変わる時間が近くなった頃。最早、収拾をつかせるよりも放って置いた方が得策だろう、と判断し、入り口付近で目を回していたヴェインを抱えて寮への道を辿り始めたロクシスだったが…その前に気づくべきだった。――――腕に抱えた彼もまた、酔っ払っている事に。
夜風に擽られて目を覚ましたヴェインが脚をぱたつかせてロクシスの首に腕を絡める。首筋に掛かる熱い吐息。まともに呂律の回らない彼がきゃらきゃらと笑う度に仄かなアルコールの香りが鼻腔を掠める。
「あのねぇ〜、おしゃけねぇ〜、初めてらったのぉ〜」
彼は上機嫌だ。それはもう、稀に見るくらいに。それどころかありえないくらいに。――首に絡む熱い体温に心底、慌てながら、ロクシスはヴェインを抱えなおした。
「あー、そーかそーか。わかったから暴れるな」
「…ぷー。つまんらーい」
ぷくり。膨れた餅のような頬を、両手が塞がっていなかったら人差し指で潰していただろう。
横目で、擦り寄ってくる可愛い顔を視界に入れながら歩くロクシスの規則的な靴音が響く。
「何がつまらない、だ。今日が君の誕生日だというから、こうやって部屋に運んでやっているというのに。…おい、こら、引っ付くな!」
「やらもーん」
「暑い!!」
叱責を浴びせながら、熱い頬に胸が高鳴る。――ああは言ったものの、実際は誕生日だろうとそうでなかろうと自分は彼を寝室に運んでいたに違いない。ぶつくさ文句を言いながら、彼の愛らしさに自分ではあり得ないくらいに微笑んで、それだけで無限に満たされない至福の器を刹那、潤している筈だ。現に今のやり取りも本気で嫌悪していないと自覚している辺り、自分は既に終わっていると思う。
鍵の掛かっていない扉を開けて――いつも施錠はしろと言っているのに――、月明かりが照らす、ここが終点。
「ほら。ついたぞ」
「えへへー。ありがとぉ。ロクシスだいすきー」
この殺人的に可愛い生き物は今、自分が何を言っているのか判っているのだろうか。テープに撮って素面に戻った彼に永久リピートで聞かせてやりたい。ゆっくり整えられた褥に横たえながら息をつく。――――刹那、首に絡んだ腕が中途半端な体勢の身体を引き寄せた。
「…っ!おい…!」
どさりと少しの埃を巻き上げて倒れ込んだ褥が悲鳴を上げる。――無邪気な笑みが凶器を繰り出す瞬間とは、こんなものだろうか。簡素な褥に降ろした筈の熱い身体が、今度は相手の身体に乗り上げて、絡めた腕をそのままに、ぎゅう、としがみ付いて来るのをロクシスは唐突に湧き上がる熱と戦いながら見ていた。
近い。熱い。可愛い。綺麗。細い。壊れそう。触れたい。…これは駄目だ。頭を振って熱を払おうにも近すぎる距離がそれを阻む。
「…放せ」
硬くなる声音。黙して、銀色が胸に埋まる。
「…やだ」
きゅ、と力の篭る指。逸らされる鳶色の目。
「放せ」
「やだっ」
駄々を捏ねるな。言ってやりたくとも、身体に乗る愛らしい重さが意思を砕き、熱が熱を上げる。…悪循環だ。いっそ、このまま奪ってしまえたなら、どんなに良いか。
存外、簡単に抵抗を諦めた手が細い肩を抱く。ぴくりと震えて、ヴェインはまたロクシスの胸に擦り寄った。頬が熱い。
「……いっぱいね、考えたんだよ」
ぽつり。熱に浮かされた言葉が零れて滲む。
「何が欲しいのか、とか。どんなのが好みなのか、とか」
意図が掴めないが、放っておく。
「考えてる内に、誕生日終わっちゃって…何も出来ないまま、僕の誕生日が来ちゃって」
ああ、私の誕生日の事か。ここまで来て、漸く気づく。知らないとばかり思っていたのに。知っていたなんて。
「ロクシスの事、好きなのに…何も出来なくて…また今日が終わっちゃう…」
こんなに、好きなのに。毎朝毎朝、日付が変わる度に悲しくて、情けなくて。でもこんなに好きなのに。――――ほろほろと零れる想いの欠片を耳が捉えて、ロクシスはヴェインを抱えたまま飛び起きた。急な動きに被害を被った褥が悲鳴を上げただなんて、どうでも良い事。
肩を掴んで引き離すロクシスの瞳に潤んだ青色の端から頬を伝う滴が映る。
「今、なんと言った?」
呆然とした声音に、ヴェインの目が正気を取り戻す。みるみる染まる頬。酒の所為ではない可愛らしい初々しさがロクシスの胸を高鳴らせた。
顔を背けて、小さな唇が小さく音を紡ぐ、その愛らしさ。
「…い、言わない…知らないっ」
どれだけこっちが今にも歓喜に叫び出しそうなのを抑えているのか、この愛しい人は分かっていない。
「言え」
「言わないっ」
身を捩って逃げ出そうとする彼を捕まえて、腕に閉じ込める。こんなにも華奢な身体で、前線で戦っているのが信じられないくらいだ。少し捻れば腕など折れてしまいそうなのに。現に、お世辞にも腕力に自信があるとは言えない自分の腕の中からですら逃れられない。それとも、それも良いように解釈してしまって良いのだろうか?
「もう一度、言ってくれ」
聴きたい。今度は逃さないから。暴れる細い身体を腰を捉えて閉じ込める。
「…好きなんだ…君が…」
抱きしめて、囁くよりも大きな声で。――――伝われ。
「どうしようもなく、君を愛しているんだ」
荒らされるシーツの音が止む。
「…嘘」
「嘘じゃない」
まあるく見開いた、零れそうな青い目からまた滴がぽたり。指で拭って頬を包む手を、ヴェインは俯いて拒んだ。
「今日が僕の誕生日だからでしょう?」
時計の針は11時55分。まだ辛うじて28日だ。いつもはそっけない彼も、偶には優しくしてやろう、と仏心を出しているんだろう。それでも、こんな優しい嘘はいらない。夢なら早々に覚めて欲しい。そしてまた、日付の変わった朝日を浴びて、褥で俯くのだ。
ぽろり。また零れた滴を暖かな指が拭う。
「違う。嘘じゃない」
あり得ない優しげな声。彼はこんなふうに自分に話したりなんかしない。
「嘘つき」
「しつこいな、君も」
ついた溜息が闇に消えるのを見ながら、ロクシスは涙で冷えた頬を暖める。
口付けの一つでもすれば、信じて貰えるだろうか。これまでを振り返って、自分がお世辞にも彼に対して良い態度を取っていたとは思えないし、思わない。寧ろ、嫌われて当然の仕打ちをしていたと思う。到底、恋情を抱く相手にするような態度ではない。今更、こんな事を言っても、遅い事は百も承知だ。それでも彼が零した言葉を質に取って賭けている辺り、自分は己が思うより彼を手に入れたくてしょうがない、往生際の悪い奴なのかもしれない。
今、この場でこんな揚げ足を取るのは我ながら最低だけれど。
「そんなに疑うなら、先月渡し損ねた私の誕生日プレゼントを今くれないか?」
ああ。なんて卑怯者。彼が断れないの知っていて言うなんて。案の定、きょとん、と目を丸くして…ヴェインはあたふたと自分の制服を探った。
「え?え?今、何も持ってないよ?」
当たり前だ。素材はアトリエだし、武器と言ってもアタノール室は既に閉まっている。何かを作り出そうにも今からでは無理だ。何より、あのカオスなアトリエには今は近づきたくない。
鳶色の双眸を刹那、沈ませて、彼は口を開いた。
「物が欲しいわけじゃない」
「でも…」
腰に乗ったまま困惑する彼を抱え直す。
「君が欲しい。他に欲しいものは無い」
さらりと言えた自分に拍手喝采だ。それもこれも少し入った酒の所為かもしれない。素面なら到底言えない。こんな優しい声で。こんな事を。
一間置いて、控えめに返された、ヴェインの声はまるでひた隠しにしてきた秘密を囁くようなものだった。
「じゃあ…僕にも、プレゼント、くれる?」
「何が良い?」
伺うような視線に淡い笑みが返される。――ああ、夢だったら泣いてしまいそう。
瞳が彷徨い、それでも逡巡は一時。
「…君が良い。ロクシスが、欲しい、よ…」
頬が熱い。だが今は酒の所為でなく、きっと暖かな指で優しく涙の跡を辿る彼の所為だ。
「他には?」
添えられた掌に甘える猫のように擦り寄ったヴェインの首が、ふるふると軽く振られる。
「いらない」
「何も?」
「何も」
小さな声で交わされる言葉がくすぐったくて、暖かくて、嬉しくて、笑ったはずなのに、またぽろりと藍玉から滴が落ちた。
11時59分。
やがて明ける次の陽は、きっと違った色をしている。
……こんな恥ずかしくて出来損ないなSS久々に書いたぜ……(泣)
やっぱりボツは大人しくボツにしとくべきだったかも…。「エロばっかじゃないんだいっ!」という言い訳がしたくて書いた、「本当はボツだった誕生日SS」…本当はコレを出すつもりだったんですが小恥ずかしい上に全くもって不発だったのでボツった品…。他所様はイイ話書いてるのに…(泣)
なんとか加筆修正して形にはしましたが…所詮付け焼刃ですね…稚拙な上に安直。息切れがみえみえなのがイタイ所ですね…。やっぱ慣れないコトはするもんじゃない…。
え?お前らしいのはエロだろうって?んなバカな!!クロさんだってヤる気になれば鬼畜の一つや二つ!!(え?鬼畜なの?)
まあ、とりあえず、数増やし品ってコトで。誰か一人でも「砂吐いた!」って言ってくれればヨシ。
ヴェイン、誕生日おめでとー!!ロクシス、忘れててゴメーン!!!(ファン失格だろ)
(余談) 実は回想部分から分岐で「酔っ払いヴェインにおねだりされてロクシスどきどき!」という案があったのですが…誕生日でコレはあんまりだろう、と文字にはなりませんでした(笑)
2007/09/30 |