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 風に吹かれて囁くのは――。

女神の花冠

 採取に来たはずの高台で、緑の絨毯に座り込んだヴェインは何故かそれを見つめて首を傾げた。他にいる者といえば先程から、ぶつくさ文句を呟きながら真面目に採取をしているロクシスだけで、律儀だな、と思いながら、ヴェインはやはり、それを見つめて首を傾げた。
 ふわり。草の匂いが鼻を擽るのに合わせて揺れるそれは少し土に汚れた白。細い首の頭にぼんぼんの花を咲かせて、ゆうらり、ゆうらり揺れている。周りを彩る三つ葉達は四葉を見つければ幸せになれるらしい。見つけられたら良いと思うが、彼の青い目は白い花を捉えて動かない。
 ゆうらり、ゆうらり。可愛い小さな白い花。手折ってしまうのは可哀想だけれど、どうしても確かめたい事がある。
 意を決して、ヴェインは口を開いた。瞳は花を見つめたまま。
「ねえ、ロクシス。花冠って…作れる?」
「…は?」
 ぶちりと引っこ抜いたハウレン草を片手に、ロクシスが間抜けな声を上げる。何故、自分達だけが採取に赴かなければならないのかという不満――他のメンバーはアトリエで休息、というのだから、これが不満でない訳が無い――を延々零していたロクシスにとって、突然のヴェインの言葉は全く理解出来ないものだった。
 ロクシスの視界からは、地面を一心に見つめるヴェインの背中しか見えないが、彼が全く自己の責任を全うしていないのは一目瞭然だ。モンスターが襲ってこない可能性が無いとは言えない場所で座り込んでいる姿は無防備としか言いようが無い。加えて、いくら頭上に抜けるような青空が広がっているとはいえ、こんな能天気な事を言い出すのだから…怒る気も失せてしまう。寧ろ、怒りをぶちまけている自分の方が馬鹿馬鹿しく思えてくる。
 軽く息をついて、彼は手にした草を放り出した。――暫しの休憩くらい、罰は当たるまい。肩を竦めてゆっくりと近づき、細い肩からヴェインの手元を覗き込む。
「……白詰草、か」
 白い白い白詰の花。三つ葉に埋もれる清純な姿は無駄に華美で下品な華より余程、良いと思う。薔薇だの百合だの蘭だのといった高級花に飽きたロクシスにはそれくらいが丁度良かったのかもしれない。たかが雑草だと見下す気も起きなければ、過度に賛美する気も起きない。その疲れは社交界のそれに似ていると思う。卒業すれば戻らねばならないその世界に、今から辟易してしまうのはこの学園の微温湯に浸かりすぎた所為なのだろう。
 思い出すのも億劫なそれを無理矢理、意識の隅に追いやって、銀色の隣に腰を据えたロクシスは改めて揺れる白詰草を眺めた。
「それで?花冠がどうしたと?」
 ヴェインが誰かに知識を乞うのは珍しい事ではないが、その内容には些か突拍子の無い物が少なくない。分類すれば、これもその内だ。今、この状況で花冠がどうの、というのは明らかに合わない。
 眼鏡を外して拭きながら訊くロクシスにヴェインは緑の海にぽつぽつと顔を出す沢山の白い花に目を移して答えた。
「うん。フィロがね、前にここに来た時に、これだけ花があれば花冠が出来るね、って言ってたから…」
 どこか上の空で紡がれる不安定な声音は回想をしている時の彼の癖だ。あまり好ましくない癖だと、ロクシスは思っている。話をする時は人に向けて、せめて言葉を向けるべきだと。それも元を辿れば、人と接する機会の多すぎた自分の環境がそう思わせるのかもしれないが。
 陽に透かしてレンズの汚れが拭い去られたのを確認し、かけ直した彼の指が白詰草の命を一輪、摘み取る。
「自分で作ればいいだろう」
 指先で茎を捻りながら言えば、むくれた声が返った。
「だって、作り方なんか知らないよ…」
「摘んでやってみればいいだろう」
 ぷちり。また一つ、花の命が終わる。
「…ぐしゃぐしゃにしちゃったら…可哀想だもの…」
 何にもなれないまま、捨てられてしまうなんて。意味を持てないまま、放られてしまうなんて。そのまま、朽ちてしまうなんて。そんな事は、出来ない。詭弁だと言われるだろう。だが、自分にはそれをする少しの度胸すら無いのだ。意気地無し、と笑われるだろう。それでも、生まれたなら、何か、意味を、と…思うのは悪い事だろうか。
 俯いた視界に揺れる白詰草が映る。ゆうらり、ゆうらり。細くて、折れそうで、事実、折れてしまっている花もあって…それでも白い花を咲かせて揺れる、白詰の花。
「弄ばれて、そのまま忘れられてしまったら、可哀想だもの」
「なら、君が大事にして覚えておけばいい」
 ぱさり。頭に、髪を擽って柔らかい感触。
「え?」
 乗った、軽い重み。そっと手を伸ばした頭上から白い花びらが数枚、ひらひらと落ちてくる。風に囁く音と、微かな花の香り。鼻腔を満たすそれは今し方、眺めていたそれと同じものだ。少し、視線を上に向けて――見えるはずも無いけれど――、手探りで髪を探れば、つん、と指先に白い花が触れる。
「え、え?これ…」
 みるみる大きくなる青い瞳が瞬くのを見ながら、笑みが浮かぶのを抑えられない。――してやったり。
「御所望の花冠だ」
 言えば、更に目を瞬いて息を呑んだヴェインが顔を真っ赤にしてうろたえ始める。動く度にかさかさ音がするものだから、小刻みな動きと相俟って、小動物じみた彼は拍車を掛けて更に小動物のよう。
「…い、いつ作ったの…?」
「君が考え事をしている間だ」
 急ごしらえながら、中々に良い出来だ。銀色に埋もれて連をなす白詰を見つめて、ロクシスは満足気に頷いた。――似合っている。ヴェインの清楚な印象はその実、世間知らずと天然が中身だが、その穢れを知らない純粋さは美しいの一言に尽きる。世俗の穢れを知らない。社交の腹の黒さを知らない。美しい銀色。愛らしい青色。守りたいもの。
 手近の全ての白詰を綴って作り上げた花冠がさわわと風に音を立てれば、月色を映した髪が煌いて…ああ、きっとあらゆる神話の女神ですら敵わない、と思う。美しくて、美しくて、愛らしくて。
 注がれる、微熱さえ纏う視線に頬を染めて俯いたヴェインがか細い声を紡ぐ。
「……いいの?」
「君のために作った」
 他に作る理由が無い、と彼は笑った。ただ、ヴェインの為だけに、この、手間が掛かるだけで、やがて朽ちて消える冠を作ったのだと。
 こみ上げるものは、なんだろう。
「…貰って、いいの?」
「何度も言わせるな。君のためだけに作った」
 優しくて、野の花一輪の命すら案じて手折れない、君のために作った、と。柔らかく笑うものだから――――嬉しくて、嬉しくて、申し訳なくて。
 霞んだ視界に、ああ、まずい、と思った刹那。

 唇を塞ぐ、優しい温もり。

 永い一瞬。触れるだけのそれがゆっくりと離れ、それでも吐息を感じる程近くからは離れずに。紡がれる囁きが二人の間を過ぎる風を縫う。
「覚えておけ」
 ここに二人で来た事。ここで二人で話した事。ここで白詰草を見た事。ここで花冠を作った事。――――ここで、口付けをした事。
「うん」
 忘れない。
 小さく、穏やかに返して微笑んだ彼が、今日の内で一番綺麗に見えた。

 惹かれ合うままに唇を寄せる二人を見守っていたのは――――銀色を飾る、女神の花冠。



スランプ脱出の為にリハビリをしよう&折角だから初心に返ろう第一弾(笑)
ヴェインに花冠は絶対、可愛いと思うのですよ。華美なヤツじゃなくて、こう、質素だけど可愛いヤツ。ロクシスがヴェインの為とはいえ、花冠を作ってる様は非常に笑えますが(ロクシスに誤れ)
ちなみに白詰草の花言葉は「幸運」というのが一般的かもしれませんが他に「約束」、「私を思い出して」というのもあります。
これがバッドEDルートなら最悪の悲恋ですね…是非とも幸せルートでイって貰いたい…。

2007/11/26