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※女体化ユーリで、妓楼に売られそうになった所を突然、交渉の席に現れた宮中役人に買われています。


 くそくらえ!

鴉は月夜に恋歌を歌い

 どえらい所に来たもんだ。――――明らかに一般人とは肩幅の違う官職の者に前後を挟まれて歩くユーリは見上げた梁の装飾に軽く眩暈を起こした。
 お世辞にも人並みな生活が出来ているとは言いがたい下町の食い扶持を稼ぐ為、軽い気持ちで女衒に身を売った筈なのに、それがどうしてまた、こんな場所に来ているのか。適当な所に売られたところを適当な所で抜け出してくれば良い、と、そんな考えでいたのが台無しだ。
 見渡す限りの豪華な景色。梁に打たれた金の板に始まり、柱の鮮やかな赤、欄干の艶、欄間の透かし彫りなど触れれば折れそうな程、繊細で秀逸である。磨かれた廊下の平らな様子など下町ではまずお目にかかれない。ここに至るまでに幾度も通り過ぎた窓扉の装飾など細かく眺めるのも馬鹿らしいくらいだ。
 無造作に置いてある壷のひとつでも持って帰れば一月先まで金には困らないだろうに。思うたび、ユーリの顔は険しく歪む。
 本当なら下町育ちの粗野な性格しか持ち合わせていない自分は、それこそ下女同然の扱いで花街に売られるはずだった。見目だけは良い、とユーリを口先ばかりで褒めた女衒もそのつもりでいたし、彼女自身も逃げ出すつもりでいたから、いようがいまいが構わないような役に居るのが都合が良い。ところが、どうだ。今、歩いているのは底の抜けそうな、がたがたの廊下のでは無く、足裏の柔らかい貴族のための廊下だ。逃げ出す所か、身動き一つ取れない。
 前を歩く文官を蹴倒したい気を大人の理性――二十一にもなって八つ当たりはみっともない事くらい下町育ちでも知っている――で押しとどめて、ユーリはちらりと遠くなった気のする空を横目に見る。
 鳥の鳴き声すら羨ましくなる雰囲気に、少しだけ肩が落ちた。
「宮城は嫌い?」
 思ったよりも気が滅入っていたのか、前を行く男からふいにかけられた声に痺れた指先が袖の下で跳ねる。が、気づかせるようなへまはしない。もっとも、文官にしては些か硬さに欠ける彼は気づいているかもしれないけれど。
 喉を鳴らす笑い声にあわせてぎゅう、と結ばれた、箒のような後ろ髪がぶわぶわ揺れる。こいつさえあの汚い交渉の場に現れなければ、こうして役人に買われる事もなかっただろうに、積まれた金に目の色を変えた女衒が恨めしい。ついでにこいつも恨めしい。
「…別に、何でそう思うんだよ」
「いやね、随分とぴりぴりしてるからさ、嫌いなのかなーって」
 そんなにぴりぴりされたら、おっさん、色んなものが磨り減っちゃうわー。振り向かないまま叩く軽口はユーリにしてみれば少々具合の良くない物だ。思わず、小さな舌打ちがもれる。
 それ程、あからさまに不機嫌を体現していたつもりは無いが、彼は敏感に感じ取ったらしい。まずい。警戒されれば更に抜け出す機会が無くなってしまう。自分はなんとしても下町に帰らねばならないのに。
「で。ほんとのトコロ、どうなの?好きじゃないっしょ?」
 正直に言うべきか、言わざるべきか。結論として、嘘は――――苦手だ。
「御名答。大っ嫌いだね」
「っ!貴様!!」
 嫌悪で染まりきった声音に背後を固めていた兵の気色ばんだ。都合が良い。ここで拳の一つでも繰り出してやれば、すぐさま門から蹴り出してくれるに違いない。生憎と、そこらのお姫様のように御淑やかには育っていないのだ。相手が剣だろうが弓矢だろうが、振られる前にのしてやれば良い。
 小さな鍔鳴りに刃の冷たさを予感したユーリは、しかし、次には僅かな構えを解く事になった。
 遮ったのは、抜けるような空よりも軽い声音。
「やめとけやめとけ。お前じゃ相手になんねぇよ。このお嬢ちゃん、強いから」
 返り討ちにされんのがオチだ。――――軽い口調とは裏腹に、やけに鋭い声音だったと、思う。文官、否、下仕官ではありえない、裏側の冷えた重み。
 ユーリ自身、一兵卒の下仕官程度に良い様にされるような大人しい性格ではないし、お淑やかでもない。その最たるものとして、護身程度以上の剣技を独学で身に着けていた。お転婆が行き着く先にしては少々度が過ぎていると下宿先の女将に言われているが、そのおかげで下町に降りてくる下卑た役人に負けた事など一度も無い。お世辞にも治安が良いとは言えない場所で育ってきた所為もあり、身を守る事に関しては人一倍警戒心が高かったと自負している。しかし、それを、この宮仕えの役人が知っているだろうか?答えは否だ。巡回に来る使えない下っ端役人じゃあるまいし、ユーリのやらかしていた事を知っているとは思えない。
 だが、事実として、彼は言っているのだ。――「このお嬢ちゃん、強いから」と。
「…おっさん、やけにオレの事知ってるみたいだけど?」
 自分の知らないところで知られているのは気持ちが悪い。言外に告げれば、また箒髪がぶわぶわ揺れた。
「美人の情報は必ずチェックしてんのよ」
「あーそう」
 嘘だ。汚い大人を見続けてきた勘が瞬時に答を出す。
「じゃあ、女衒と妓楼の交渉の場に横入りして来たのも、何か前情報があったのか?」
 ゆったりと歩を進めながら不敵な笑みを浮かべて放った問いに、返ったのは僅かな沈黙だった。
 ちちち、と控えめに啼く雀の声ですら気まずく感じるような空気は笑みを崩さないままの彼女が男の、あまりつついて欲しくない部分をあえてつついたからだろう。
 ただ、女を目的の場所へ連れて行くだけの簡単な仕事だと高を括っていた兵が僅かに顎を上向かせてあらぬ方向を見たのが滑稽さを演出している。
「あー…そう、ねぇ…ユーリちゃんは敵に回したら怖そうだわぁ…」
「そりゃどうも」
 嬉しくともなんともねぇけど。艶やかに笑って見せても、恐々と後ろを振り向いた男の緑の瞳にはそれが小悪魔の微笑に見えて仕方が無い。なんて女だ。聡いにも程がある。これではあの方が抱いている心配など無意味なんじゃないかと思うくらいだ。
「はぁ…その辺はおっさんの七不思議のひとつにしといて頂戴」
 辛うじて言えた言葉の、なんと薄っぺらいこと。自分で馬鹿らしいと思うのだから、他人にしたら相当馬鹿らしいに違いない。後でこの場にいてくれている兵に口止めしておかなくては。
 部下への口止めと上司への言い訳を考え始めた彼の、少しばかり下がった肩を眺めたユーリは滅入りつつある周囲の雰囲気とは別に、軽く肩をすくめて見せた。
「へいへい。で?オレはどこに連れてかれるんだよ。そろそろ説明して欲しいんだけど?」
 言えば、のろのろと歩調を落としていた男が、今度は意外そうな顔でまた振り返る。
「あり?ここまで来てわかんない?」
「わかるわけ無いだろ。あんた達と違ってオレは高尚な宮城とは無縁な下町育ちなもんでね」
 事実、ここに来るまで宮殿の存在など意識の片隅にも置けないくらいの生活をしていたユーリには宮中の役職など想像もつかない。わかって、侍女がいるとか、近衛兵がいるとか、芸事に長けた宮妓がいるとか、その程度だ。突然、それこそ何の説明も無しに連れて来られて、どんな役職につけられるかなど分かる訳が無い。
 ぼりぼりと頭を掻く男の言葉を待つ間の、微妙な沈黙。ゆったりと歩を進める先に見えてきた別棟の門戸がどうやら目的地らしい。
「うーん…あのさ、宮妓、って分かる?」
 階段を下りて、石畳を歩く頃、砂利を避ける男が漸く声を返した。
「宮妓ってアレだろ?踊ったり歌ったりするやつだろ」
「そうそう、それそれ」
 なーんだぁ、知ってるじゃーん。軽い動作に重なる、微かな琵琶の音。――――とてつもなく嫌な予感がする。
 質素とも豪奢とも言えない棟の前で足を止めて振り返った男の笑みは矢鱈と素敵だった。

「教坊に到着〜!ようこそ〜、今日からユーリちゃんも宮妓よー!」

 宮妓。歌や舞、数々の技芸で人々を喜ばせ、時には宴席の接待を取り持つ遊女、或いは芸妓の事。――それくらい知っている。それが、何だって?オレが今日から、何だって?
「な、な、なんだとぉぉぉお!?」

 この胡散臭さ満点の中年野郎、いつか殴ってやる!!



一度で良いから書いてみたい、宮中フレユリネタを晒してみよう!というはずが何でか長くなりすぎておっさんとユーリだけの話をSSで晒す羽目に。
名前は出てないですが、ユーリと話をしてるのは中間管理職代表(?)のレイヴンさんです。出てるのはおっさんだけだけど、ちゃんとフレユリなんだいっ!この先の妄想では!(ぇえええ)
くっそ、絶対いつかリベンジしてやるっ!!

ところで、ユーリは身軽なんで舞とか習得したら上手そうですよね。軽快、かつ華麗。優雅というにはダイナミック(ぇ)

2010/02/26