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危険信号11:05

 勿論、宿で同じ部屋を取るのは別に構わない。それが初めてな訳でも無いし、ペアなのだから当然とも言える。
 勿論、目の前で着替えるもの厭わない。それが初めてな訳でも無いし、何より同性だ。
 勿論、寝間着で話し合うのも可笑しくはない。それが初めてな訳でも無いし、話好きな彼の話は自分にとっても息抜きになる。
 勿論、彼が自分に触れてくるのにも問題はない。それが始めてな訳でも無いし、彼が手を伸ばしてくるのを拒む理由も無い。

 唯一つ、問題があるとすれば、それは――――。

「ルシアン」
 目の前で瞬く存外長い睫毛を意味も無く数えそうになりながらボリスは口を開いた。
「ん?何?」
 とろりと双眸が微笑む。アカシアの蜂蜜よりも甘やかな色合いの髪と相俟ってそれは実に甘美な光景だ。この誘惑に耐えられなかったとしても誰がそれを責められるだろう。薄い夜着の襟から覗く細い首筋から鎖骨にかけての清楚な筋、男にしては滑らかな曲線を描く腰部の妖艶な筋。相反的なその雰囲気が意識を惑わせる。――思わず抱き寄せようとした手をボリスは鉄壁の理性で押さえ込んだ。
 これ以上見るまい。逸らした視線の先はベッドの傍らに立てかけたウィンターラー。
「近い」
「何が?」
 小首を傾げて返されて、理性がまた崩れかける。必死で抑えて、掠れた声。
「いや、だから、距離が」
 近い。そう。近い。吐息を肌で感じる程、近い。――助けて。兄さん。
 ボリスの葛藤に微塵も気付かないルシアンはその身に迫る危険にも気付かない。気付いたなら、それはそれで、不都合だが。勿論、ボリスにとって。
 しかし、実際問題、これ以上、近づいてもらっては困る。明日は仕事があるし、何より、ルシアンとの関係を壊したくは無い。この想いがどれほど身の程知らずで傲慢で浅はかで邪まなのかが分かっているからこそ、自分の我侭で彼を巻き込むわけにはいかないのだ。
 ぷぅ、と相変わらず変わらない距離でルシアンが頬を膨らませた。――くそ。可愛い。自分は素敵に末期だ。
「もっと近くでボリスの瞳を見たいんだってば〜!」
 この理由でさっきから理性の限界を試されている。確か一昨日も、その前もやった。一体、何の苦行だと泣きたくなる。
「だから、昼間の、もっと明るい場所で見れば良いだろう。もう夜も遅いし、部屋の明かりだって太陽の光ほど明るいわけじゃない」
「だって、昼は仕事じゃん。ゆっくり見れないよ」
 ああ言えば、こう言う。減らない口は塞ぎたくなる。ルシアン限定で。
「いい加減にしろ。あまり駄々をこねると怒るぞ」
 ぷぅ。また頬が膨らむ。我侭お姫様は至極、ご不満なようだ。いつもの事だが、仕方ない。鞭の後には飴をやるのが可愛い猫を惹きつけるセオリー。
 溜息をついて、ボリスは妥協案を出した。勿論、頭を撫でてやるのも忘れない。さらさらとした金髪が指先に甘い刺激を与える。
「…わかった。明日、仕事を早く終わらせよう。そうしたら気の済むまで付き合ってやる」
 さらさらさらさら。どんな絹も敵わない、この手触り。明日の決戦――本能との格闘はそれに値する程だと豪語出来る――も忘れて酔いしれる。お姫様は上目遣いでむくれたまま。
「……ほんと?」
「本当だ」
 語気を和らげて微笑めば、返ってくる羽根のような柔らかな微笑み。
「えへへ。約束だよ?絶対!」
 仄かに朱を帯びた滑らかな頬に触れたくなって…ああ、だから、こんな近くでそんな顔をしないでくれ。きっと滅茶苦茶にしてしまう。早く、早く自分のベッドに戻らせなければ。
「ほら、早く寝ろ。明日も早い」
「うん!」
 意気揚々と離れていく彼の気配をどこか惜しいと思いながら――この部分が明らかに純粋じゃない――、ボリス自身も早々にベッドに潜り込む。

 勿論、宿で同じ部屋を取るのは別に構わない。それが初めてな訳でも無いし、ペアなのだから当然とも言える。
 勿論、目の前で着替えるもの厭わない。それが初めてな訳でも無いし、何より同性だ。
 勿論、寝間着で話し合うのも可笑しくはない。それが初めてな訳でも無いし、話好きな彼の話は自分にとっても息抜きになる。
 勿論、彼が自分に触れてくるのにも問題はない。それが始めてな訳でも無いし、彼が手を伸ばしてくるのを拒む理由も無い。

 唯一つ、問題があるとすれば、それはボリスが彼を恋愛対象として想っているという事だろう。
 そういう事に対処するにはある意味、老成していて、ある意味、若輩だったのだ。





「あ、ねえ、ボリス」
「?何だ?」
「一緒に寝て良い?」
「……!!だ…!」
「だめ?」
「…………っ、わかった…」

 11:05。危険信号が明滅する中、後悔するなと言ったのは、さあ、誰に?



只管、葛藤するボリスが書きたかっただけだったり(笑)
惚れたのはボリスが先だと信じて疑わないクロこそ素敵に末期かもしれません…。

2007/01/03