その行為に意味なんて無いなんだろう。
もし、意味があるなら、きっと死んでしまえる程くだらないものに違いない。
死人の詩
「死ぬ」という事象を肯定するにおいて重要な事は心臓という臓器が動いているか否かである。その部位が動かずして生きるものはなく、その部位が動いていて死んでいるものはない。
次に重要な事は体温。血流が無い限り、身体という器が熱を持つ事は無く、熱を持たない身体は身体の機能を維持出来ない。よって微々たる体温すら持たない身体は臓器の停止というある種、自殺行為とも言える行動を起こす。
最後は呼吸の有無だろう。酸素――或いはそれに順ずる何か――無くして生きるものは無く、それ無くして生きるものは植物くらいのものだ。人間の場合、それの摂取方法は横隔膜と連動する肺と呼ばれる袋状の呼吸器を使った肺呼吸である。口、若しくは鼻から大量の窒素や少量の二酸化炭素と共に酸素を取り込み――これを空気という――、必要なものを血流を使い、全身に運んだ後、二酸化炭素として排出する。この一連の動作が呼吸である。
以上の単純な3項目の確認で最終的に判断されるのは「死んでいる」という現在進行形の「死」だ。最も、これを判断するには「確認が取れない」という実証が必要不可欠だという事は言うに及ばないだろう。
そして今、その全てにおいて確認が取れないルシアン・カルツの身体はまさしく、現在進行形の「死」そのものだった。
心音は無い。何度もその胸に耳を置き、目を閉じた。
体温も無い。何度もその頬に、首筋に、手に触れて、そのたびに恐ろしい冷たさに身体が戦慄いた。
呼吸も無い。何度も唇に頬を寄せたけれど、そよ風にすら触れる事は出来なかった。
褥に散らばる金の髪が開いたままの窓から吹き込む冷えた風にゆらりと舞う。起こすために引っ張ったはずの彼の細い手は力無く奇妙に緩く指を曲げて枕元に倒れていた。閉じられた瞳と呼吸をするために薄く開いた唇が眠っているだけなのだと錯覚させても、触れる感触はそれ全てが彼の魂がこの世を去った事を告げていた。
冷えた褥の前でその光景を眺めたまま、呆然と床に崩れ落ちたボリスの膝が鈍い痛みを訴える。
もう一度、その頬に指先で触れて、変わらぬ冷たさにまた怯えて離れた。――――――死んでいる。
「……ルシアン…嘘だろう…」
疑問形になり切れなかったのは未だ未練がましく疑いたいからだ。まるで多重人格にでもなったかのように自分の中の違う何かが嘲笑う。目の前の美しい亡骸があまりに綺麗すぎて実感が湧かないだけなのに。
水面の如く光を弾く糖蜜色の細い髪が作る薄い影が縁取る華奢な輪郭。細やかな肌とそれにまた憂いの影を落す長い睫毛。柔らかな唇。白い陽の光に照らされて横たわる姿は気障な詩人か絵描きか喜劇役者なら天使のようだと謳うだろう。それに見惚れたからと言って非難される謂れは何処にも無い。――それが死体でなければ。
また、触れる。今度は掴んで放した手に。――これで戻ってくればいい。嘘だよ、なんて。引っかかったね、なんて。そんな冗談を言って。そうしたら、馬鹿、と軽く叱ってやるのに。
「………ルシアン…っ!」
彼より低いはずの自分の体温ばかりが彼に吸い取られて…それでも戻らない温もりに、訳も分からないまま、ただその指先に額を押し付けた。
絶望よりも冷たい指先。――そんな事を思いながら。
赤い華。今、目の前にあるそれは華と連想されるものの中で、間違いなく最下位から何番目かの華だろう。
一面に咲き誇るそれの中。素足のまま、ぺたりと座り込み、そっと、脆い花弁に触れる。花蓋を茎から先端へと辿る自らの指先をぼんやりと眺めて、ふぅわりと風に揺れて離れたそれをまた茎から先へと辿った。
「なんだっけ。この花」
知ってるんだけどな。肌を刺す伸びた細い葉。太い茎。目の覚めるような鮮烈な赤色の、反り返った花弁と数本の蕊。――ああ、思い出した。
「彼岸花だ」
赤い、赤い、赤い華。花よりも華美な華。滴る血の色の。性の無い生き物。
彼岸花の花自体は意味を成すものではない。球根により芽吹く彼らは取り込んだ栄養を作り出した自らの分身に与え、肥え太らせる事によって繁殖する。つまり彼らの蘂は意味が無い。必要なのは光や栄養を取り込む葉や根、そして基となる球根そのものであり、花は必ずしも必要ではないのだ。その点では無性植物といってもいいだろう。事実、この繁殖法を無性生殖という。
意味の無い華。こんなにも鮮やかに、鮮烈に自己を示すにも関わらず、それは必要の無いもの。ただの飾りだ。必要としないものにどれだけの価値があるだろう。気付かれず咲き誇り、朽ち果てるだけの生にどれだけの価値が、あるのだろう。それでも…咲きたいと願うのだろうか。生きたいと足掻くのだろうか。
「誰も、必要としてくれないのに…」
無意味であると罵る前に怯えが先走る。肯定は救いようの無い絶望を生み出すのを知っていたからだ。認めてはいけないと、最後の何かが警鐘を鳴らしていた。それは理性であったかもしれないし、本能であったかもしれない。だが、どちらかと言えば、本能であったのではないかと思う。出すぎた水道の蛇口を慌てて閉めるような感覚。けれど、結局、どうでも良い事だったんだろう。口からは既にそれを肯定する類の言葉が零れていたのだから。
吹き抜ける風が赤い波を立てる。
「……っ痛!」
指を辿らせようとした葉に拒絶されるように指を切った。気付いたのはじわじわとした痺れが指の根元まで来たときだ。つぅ、と白い指に滑った光を帯びる赤い線が伝うのを他人事のように見る。
意味の無いものが傷つくのにもまた意味は無い。それに意味を持たせたなら、それは意味の無いものではないんだろう。きっと。
「どうした。切ったのか?」
「あ…」
風に煽られて頬に触れる闇より深い色の髪。白い夜着を纏っただけの、冷えた身体を緩く抱きしめられる感触。ふいに取られた手にくらりと眩暈を覚えながら、いつの間に傍にいたんだろう、なんて場違いな事を考えていた。
苦笑する彼の吐息の近さが心地良い。
「仕方ない奴だな」
掴まれた手が冷たいのか、掴んだ手が冷たいのか。分からないまま相手の口に傷ついた指先が含まれるのを見る。――熱い。熱い、舌。掌まで伝った血を傷口まで辿り、滲む先を口腔で包む。唾液を絡ませて吸血するように傷を吸い上げる音が耳を犯す。ざらりとした感触が敏感な指先を犯すのに耐え切れなくて、甘い吐息が洩れた。
指から離れた唇が、そのまま吐息までも奪ってしまう瞬間、また眩暈がした気がする。
「………ここは風が強い。もう少し先へ行くぞ、ルシアン」
「うん」
意味が無いものに意味をくれるなら、その闇色に抗う理由なんか無い。
焦るどころかルシが死んだのを認めちゃった、へたれボリス。
ルシは犯され気味ですが、ヤってませんよ?まだ(笑)
だってココはNOT18禁サイト(え?)
ちなみに彼岸花については多少調べました。有難う、文明の利器インターネット(何)
2007/08/18 |