なんでこんな事になったんだっけ?
真綿の檻
なんで、こんな事になったんだっけ?――狭い資料棚の合間を持ち前の小回りの利く素早さを生かして縫いながら、頭に巡る同じ文節を、ルシアンは辿る事しか出来なかった。切れる息が酷い動悸で更に息苦しく詰まる。酸素の届かない脳の片隅では答えを導く事が出来ず、また頭の中で辿る、答えの出ない同じ問い。
窓の無い資料室の妙な暗さが古くなって黄ばんだ紙の匂いを抱いて、寒気のするような不気味さまで感じさせる。お世辞にも好きな場所ではない。それなのに何故、こんな所で影追いのような事をしているのか。しかも、自分が追われる側で。
なんでこんな事に、なったんだっけ?区切る文節を変えてみても答えは出ない。焦りだけが先走って、引っ掛けた指が紙束を盛大にばら撒く。――まずい。毟った鳥の羽根のように床に吸い寄せられる、それ。暗い視界で鮮明な白が舞う。
こつり。存外、近くで響いた硬質な靴音に、血の気が引いた。
「ああ、そこか」
声に弾かれて、また走り出す。資料なんて、どうでも良い。踏んでしまったいくつかが靴の下でぴりりと破ける音を聞いても、拾う気はおろか、足を止める気にもならない。
こんなに近くまで来ていたなんて。確かに捕まらないように、引き離すように逃げ回っていたはずなのに。だが、彼が自分を出口に近づけないように動いている事には薄々、気付いている。逃げ道を作りながら、それを塞いで楽しんでいる。ゆっくりと、目に見えるように追い詰めて、追い詰めて、追い詰めて…最後は動けなくなる前に甘い飴をちらつかせて自滅を誘うのだ。逃げられないという絶望の切っ先を突きつけて。
背後の足音が微かに右へそれるのを感じて、棚の合間を左に入る。二つ先に行って、右。
なんでこんな事になったんだっけ?――原因を挙げるなら、はっきりしない自分の想いにあったんだろう。彼が痺れを切らしたと、そういう表現がしっくりくる。
今度は前方から、足音。たたらを踏む足で踵を返して、来た道を引き返す。左に入って、右。また左。
口付けは戯れで、親愛のそれなのだと信じていた。抱き締めてくれる腕も、微笑みかけてくれる瞳も、家族に近い、親愛だと。それが…いつから壊れたんだろう?それが違うのだと気付いたのはいつだったんだろう?もっと激しいものだと気付いたのは、いつだったんだろう?自分が彼に抱く感情が変わってしまったのは…いつからだったんだろう…?
自分の足音が五月蝿い。相手の足音が聞こえないじゃないか。気配を消してきているのが分かる。捕まえに来る。それでも、捕まるわけにはいかない。この資料室を滅茶苦茶にしてでも、壁に大穴を開けたとしても、彼の姿すら見るわけにはいかない。彼が言わせようとしていることが分かるからこそ、その指からすり抜けていかなければ!だって、言える訳ないだろう?
「親友に、恋をしたなんて…」
「へえ、誰に、恋をしたって?」
声。どこから?後ろから。すぐ…後ろから!
ふり返った刹那に掴まれた肩が軋みを上げて、加減無く棚に叩きつけられた身体が痺れを走らせる。詰まった息が喉に引っかかって咳に変わった。
力で敵う訳が無い。体格も違えば、腕力も違う。ついでに言うなら踏んで来た場数も。それを考えれば、ここまで逃げた自分に拍手すら送りたかった。…それも、終わり。
さあ、と引いた血の音を聞きながら、その冷えた耳に熱い吐息が吹き込む。
「捕まえた」
書類の詰まった重い棚に手どころか肘をついて閉じ込めれば闇にも輝く金髪に隠れた青い瞳が怯える。
「……ボリス…」
逃げられない。思うより身体が理解している。硬直してしまった脚の震えが止まらない。呼吸は既に緊張で早まっていて、ともすれば過呼吸にでもなりそうだ。見開いた目は、自分を絶対的な優しさで閉じ込めるボリスの冷えた熱を宿す双眸に合わさったまま。意識は別に、身体は完全に逃げる事を放棄していた。
目を細めて、弧を描いたボリスの唇が音を紡ぐ。
「ようやく捕まえた。随分、逃げられたな」
結構、予想外だった。そう言って笑った吐息がルシアンの乾いた唇を掠める。普段ならここで成長を自慢する所だが、今はそんな余裕も無い。何故なら、彼は怒っているからだ。否、正確にはイラついてる、と言った方が無難か。次にはそれをむき出しにするはずだ。
これまでの道のりを思い返して笑い、彼が次の息を吸った時には予想通り、その笑みは消えていた。
「まあ、そんな事はどうでもいいんだ」
そう。どうでもいい。近づく距離を更に狭めて、今度は他人の温もりが身体を満たす。触れた身体の、小刻みに震える感覚が可愛くて…愛しくて、また零れる笑みが深くなる。
「ルシアン、俺は結構、待ったつもりだったんだ。勿論、かなり我慢をして」
そんなの、知っている。思い返せば、どの口付けも優しくて、愛しくて、身体が熱くなる。滲む欲望はオブラートに何重にも包まれて、欠片程度にしか感じなかった。ごく最近まで、自分はそれに気付かなかったけれど。
耐え切れずに硬く瞑った瞼に柔らかな感覚。熱い息が唇だと知らせる。
「知っているか?俺がどれだけお前に焦がれているか。どれだけお前を愛してしまったか。もう後戻りなんか出来ないくらいに…閉じ込めて、俺だけのものにしたいくらいに好きなんだ」
注がれる言葉が狂おしい熱で満ちていて、それだけで息が上がってしまうのを止められない。気を抜けば縋って口付けを強請ってしまいそうだ。――思いながら、頬が染まり、瞳が潤む事に気付かない。
力の抜けた膝を割って絡む脚が敏感な場所を刺激すれば、白いケープの肩が跳ねた。
「っ!やぁ…っそこっ…」
「…どこが、なんだって?」
返されて、詰まる。言えない。言えば、もう、本当に逃げられない。
逡巡する隙に、またボリスの膝がそこを押し上げる。ぐりぐりと捏ねるように刺激されれば抜けた腰がそれを請うように落ちた。自分の重みが更に刺激を強めて……揺れる腰が浅ましくてルシアンは甘く啼きながら縋る。
「や、やだっ…ぁ、んっ…やめてよぉ……お願……許してぇ…」
特別、腕で支えようとしないボリスの首に抱きついて請いながら、その様こそが行為を請うているのだと、やはり気付かない。
勝ち誇った笑みを浮かべたボリスはただ、悪戯に身体に火をつける。最後の砦を落すために。
「さあ?お前次第じゃないか?」
少し動けば唇が触れる距離で、目の前の小さな舌がちろちろ誘う。まだだ。食いつくのにはまだ早い。
「俺に、言う事があるだろう?」
愛しさに微笑んで、熟れた唇に言葉を促せば、残った理性がルシアンの双眸を歪めた。
「…っ、や、だっ…言わないっ…ふぁああっ!!やっ、ぁああ!そんなに、しな……ひぁ…っ!」
「強情だな。もう答えは出てるんだろう?」
否定は許さない。逃げる事も。そう、闇色の目が言う。それでも、
「言、わない…っ!」
強情だの、なんだの言われても、言うわけにはいかない。長い間、保ってきた親友という関係が変わるのが怖い。愛していると言われても、愛しているのだと分かっていても、言えない。逃げて、追いかけられて、追い詰められて、熱を押し付けられて嬉しいと感じても、言えない。――言える訳が無いのだ。どこか臆病な自分に。強い想いを伝える事など。
滲んだ涙が頬を伝う。
「言えよ」
「やだ。言わない…っ、は、あっ…」
らしくなく熱い指が金糸を梳いて白い首筋を撫でる。――ああ、その指先があんまり優しいから、いけない。
「ルシアン、俺に、言う事があるだろう」
ほろほろと崩れていく何かを感じながら、自分はやっぱり囚われてしまったのだと思った。
緩やかに追い詰めて、包み込む――――真綿の檻に。
おおう。実に2ヶ月ぶりでしょうか。スランプだー、と言いながら、詰まった仕事に追われて漸く書いた初キリ番。
高宮さんに捧ぐ、腹黒ボリルシ!!…というか、腹黒を通り越して鬼畜、か?
このサーバーでここまでOKなんだろうか…びくびくしてますが…。
何がやりたいかって…ルシに「許して」と言わせたい…(悦)
こんなので良ければ高宮さんのみフリーで受け取ってください!!!逃げるぞー!!(ぇ)
2007/06/19 |