mono   image
 Back

 タダで食わせてやる訳、無いだろうが。

鍋奉行の憂鬱

「あの…何を、しているんですか?」
「何って、見て判るだろ。鍋だよ」
 はしゃいで飛んで行こうとするルシアンを片手でひっ捕まえて言ったボリスに、眼鏡を湯気で曇らせたマキシミンが憮然とした顔で答えた。
 彼の手に綺麗な形で握られた菜箸はもう片方の手に乗る皿に盛られた豚肉に伸びており、今にもその赤い一切れをぐつぐつと煮えたぎる、暑苦しい土鍋に突き落とそうとしている。出汁の出る肉の類から、というのが実に所帯じみたマキシミンらしい。
 少し離れた場所ではイスピンが瑞々しい白菜を細剣で華麗に切るという荒業をやってのけていたが、それについてはボリスは追求しなかった。
 目を輝かせ、走り出そうともがいて地を掻く犬のようなルシアンを今度は抱きしめる事で押さえ込む。そろそろ抑えるのも限界かもしれない。
「何故、こんな所で広げているのか聞いても?」
 もしも自分が相当に滑稽な夢を見ているのでなければ、ここはペナイン森だ。もっさりと生い茂った草花や天を覆う枝葉。足元で音を立て、靴底を微かに刺激する枯葉は幻覚ではないはず。周りをうろつくワイルドキャットが周辺に立ち込める、だし汁の良い香りに涎を垂らして立ち止まっているのが多少、常から逸しているとはいえ、ここは紛れも無く魔物の徘徊する場所――の筈だ。
 何で、また、そんな所に絨毯を敷き、コタツを広げ、あまつさえ、安いカセットコンロとファミリーサイズの土鍋で鍋物の下ごしらえなんぞをしているのだろう。
 意外に丁寧な手つきでついに豚肉を鍋に落として、嫌そうな顔がまたボリスを振り返る。
「聞いちゃなんねぇと思ってる事は聞かない方が吉だぜ」
 ああ。なんとなく察しがついた。
「………そうか…」
 どうせ大した理由もないんだろう。がくりと肩を落とした所で閉じ込めた腕の中からなんとか両手を伸ばしたルシアンが声を上げた。
「ねぇねぇねぇ!!それ何?それ何?楽しそうー!!僕も混ぜてよ!」
 わんわんわん。今のルシアンに尻尾でもつけたらはち切れんばかりに振り回しているに違いない。とりあえず、天下のお坊ちゃまが庶民の鍋如きにこんなに目を輝かせているのは天然記念物級に珍しいはずだ。今時、世間知らずなお貴族様だってやらないだろう。
 喧しく好奇心を伝えてくるルシアン――未だにボリスに捕まったままだ――を見遣って、マキシミンはまた一層、嫌そうな顔をした。…気持ちがわからなくも、無い。
 肉の投入で沸騰の収まった鍋を覗き込むマキシミンはさながら主夫だと思う。あながち、間違ってもいないだろうが。
「うるせぇ。これはお坊ちゃまが食べるようなモンじゃねぇんだよ。あっち行け」
 庶民のささやかな贅沢を邪魔されてたまるか。菜箸で追い払う真似をしながら、じゃあ、公女様は良いのか、なんてくだらない疑問が浮かんだが、彼はそれを力づくで意識の底に沈めた。件の公女様は――今度は茸を捌くのに夢中だ。
 また眼鏡が曇ったところで不満で塗りたくった声音が鼓膜を裂いて…彼は眉間の皺が更に深くなるのを自覚した。
 目を向ければ、したはたと手足をバタつかせる――お前は一体、いくつだ――お坊ちゃまと困ったようにそれを抱いたままの護衛。
「えー!!僕も食べたいー!!」
「ルシアン、マキシミンがダメだと言っているんだからダメだ」
「やだやだやだぁ!!食べたいー!!マキシミンだけなんてずるいー!!」
 いやいや、俺だけじゃねぇだろ。寧ろ、いちゃつくなら余所でやってくれ。ツッコもうとしたマキシミンを女性にしてはややハスキーな声が遮った。
「じゃあ、具材を持って来たらOKっていうのは?」
「…イスピン」
 今し方、刻んだばかりの野菜達がこんもり乗った皿を傍らに細剣を丁寧に拭きながら、彼女も野菜刻みに集中しながら話を聞いていたらしい。まあ、あれだけ騒げば聞いていない方がおかしいが。
 憮然としながら再度、沸騰した鍋に茸を投入。
「でもな、具が限られてるんだぞ。一人の取り分が少なくなるだろうが」
 しめじに椎茸、榎木。茸尽くしだが、まあ、良い。そこは野菜でカバー。菜箸で適当に寄せて、また沸騰を待つ。
「だから、具を持って来いって言ってるんだよ。それならいいでしょう?」
 鍋は大人数の方が楽しいらしいし!ガッツポーズで燃え上がる彼女の考えている事がイマイチ判らない。大人数になっても具の取り合い――主に肉――がヒートアップするだけで…いや、彼女の場合、それ自体が燃える要因の一つなのかもしれない。
 気苦労の種がまた一つ発芽するのを感じて、胃が焼けた。その餓えた目の前に――――見目麗しい鶏肉がぶらり。どこからとも無く差し出したのは、勿論、百戦錬磨のボリスも手に負えない天然お坊ちゃま、ルシアン・カルツ。
「じゃあ、これっ!!アノマラド産高級地鶏!!!」
「こ、高級地鶏…!」
 高級地鶏。地鶏とは即ち、在来種を親とし、生後28日間以降は1平方メートル辺り10羽以下の環境でカゴ飼いをせずに育てられた鶏。高級なのは言わずもがな。万年ジリ貧のマキシミンにはだし汁を啜れないどころか目にする事も出来ない高嶺の華。
 生唾を飲めずに垂らす彼の前でニヤリと笑うお金持ち二人は見事に悪人顔だった。
「ほらほら、マキシミーン。ルシアンさんを仲間にいれるだけで高級地鶏との思い出が出来るんだよ〜」
「ぐ…っ」
 地鶏が揺れる。
「僕にちょーっとお鍋をつつかせてくれるだけで高級地鶏が食べられるんだよ〜、マキシミーン」
「うぐっ」
 地鶏が揺れる。
「あー。イイなぁ。高級地鶏の自然な甘さの染み出たコクのあるだし汁」
「くう…っ」
 地鶏が…。
「柔らかいジューシーな高級地鶏の食感」
「ぐあ…」
 地鶏…。
「一度食べたら忘れられないよ〜」
「く……っ」
 じど…。
「美味しいよねー。高級地鶏」
「美味しいよね〜。高級地鶏」
 じ……。
「食べないの〜?マキシミーン?高級地鶏」
 ぷつん。
「あぁぁあ、判ったよ!!食べたいさ!食べるに決まってんだろ!!好きにしやがれ!このクソ金持ちどもぉぉぉ!!!!」
 かくして、菜箸は投げられた。



こんなに馬鹿暑いのに鍋SS…何考えてるんだ、自分。しかも、描写にスゲェやる気無い…。
いや、これを書き始めた時は無償に鍋が食いたかったんですよ…鳥鍋…。
マキシミンは貧乏性だと信じて疑わない!!そして、お金持ちズはきっと良い食材を知っているに違いない…!!(笑)
ちなみにこのSS書くために地鶏について調べたりしたのは内緒です。サンキュー松風地鶏(笑)

2007/07/15