だから、タダで食わせる訳ねぇだろうが。
続・鍋奉行の憂鬱
出汁の良い香りが腹の虫を鳴かせる。粗方、具の入れ終わった鍋を囲み、4人はコタツで犇めき合っていた。――森のど真ん中で。
ぐつぐつ。
「ちょっと遅くない?一気にどばーって入れちゃえば?」
ぐつぐつ。
「馬っ鹿。鍋はな、順番があるんだよ!おい、アクとりは最後だ!手ぇ出すんじゃねぇ!」
ぐつぐつ。
「あ。すまない…」
ぐつぐつ。
「ねぇねぇ。マキシミーン。これはー?」
ぐつぐつ。
「あほ!初っ端から春菊なんて入れるな!出汁が青臭くなるだろうが!」
ぐつぐつ。
「ねぇ、もう肉とか良いんじゃないの?」
ぐつぐつ。
「イスピン。俺の許可無しに箸突っ込むんじゃねぇ。ルシアンもだ」
ぐつぐつ。
「はーい」
「はーい」
ぐつぐつ。
「お。お前ら何やってんだ?」
「バカ。見て判らないの?鍋でしょ」
「あー。シベリンさんにレイだー」
ぐつぐつ。突然割り込んだ二つの声にルシアンが嬉々として振り返った反面、相変わらず菜箸で鍋を整えるマキシミンは苦虫を噛み潰したような顔でシベリン、ナヤトレイの二人に目をやる。
「げっ。増えんのかよ…」
現在の彼の頭の中には高級地鶏の取り分についての云々しか無い。人数が増えるという事はその分、取り分が減るという事だ。高級地鶏の為にボリスとルシアンの同席を許したマキシミンにとっては何があっても人数の増員は避けたい事項だったが…勿論、そんな事を屁とも思っていないのがお金持ち二人組み。この場合、我関せずを突き通すボリスの援護は期待出来ない。
予想通り、ルシアンが彼らを手招いた。
「おいでよ〜!今からね、皆でお鍋するんだー!」
辺りに香る野菜と肉の甘みが滲んだ香り。目の前には湯気を立てて煮えたぎる土鍋の中で踊る艶やかな具材達。――そこで誘いに乗らねばシベリンではない。
彼に対応を任せる事にしたのか、静観を決め込んだナヤトレイを置いて、シベリンは目を輝かせた。
「お!いいねぇ!何鍋?」
「ごっちゃ鍋ー!」
「高級鳥鍋ー!」
「ばーか。既にちゃんこだろ」
適当に突っ込みを入れて、ぶいぶい震える豆腐をずらし、ついに野菜を投下。あとは食べ頃になるのを待つだけ。がっぽりと蓋をしてマキシミンは一先ず、菜箸を置いた。
「お前らが食う分なんかないぞ。帰れ帰れ」
ポン酢の準備は万端。お好みで柚子だの酢橘だの葱だのを適当に入れやがれ。器を配る主夫の手に迷いは無い。
4人分の仕度を整えたその肩に重い腕が乗る。見れば、勝手に肩を組んで隣に座り込む赤い髪。
「ケチケチすんなよ。ハゲるぜ?」
「ほっとけ。てめぇらまで食わせられるような量、ねぇんだよ」
「だから特別ルールがあるじゃないか」
割り込んだイスピンの言葉にシベリンが首を傾げる。
「特別ルール?」
吹き上がる湯気の向こうで彼女の笑みが深くなった。
「そう。鍋を食べたいなら具材を持ってくる事!」
一本指を立てて説明するイスピンの二つ隣でルシアンが自分もそれで加わったのだと主張する。顎に手を当てて考え込んだのはシベリンだ。
具材を持ってくる。それに異論は無いし、それが真っ当な条件だろう。そうでなければもとの具材を用意したマキシミンとイスピンが不利益を被ってしまう。問題は何を持ってくるか、だ。手持ちは無くも無い。だが、先程、ちらと見た鍋の中身には足り過ぎている気もする。
さて。何を出すか。あと自分がこの場に出せる物で賛同を得られそうな物といえば…。
荷物を漁ろうとした彼より先に佇んだままだった彼女が動いた。
「これなら、どう?」
ぶらり。眼前にぶら下げられた――――鮟鱇。
鮟鱇。あんこう。それは魚介鍋の代表格の一つとも言える、ゼラチン質の部分の美味さが癖になる魚。通は鯛鍋よりも好きかもしれない。それが鮟鱇。
呆然とナヤトレイの手元に釘付けになったマキシミンを置いて声を上げたのは言わずと知れた金持ち組。目を輝かせてぶら下がった魚を見つめながら手招く姿は到底、公女様とお坊ちゃまには見えない。
「鮟鱇だ!!」
「ナヤトレイ、こっちこっちー!」
「じゃあ、失礼するわ」
異論の「い」の字も無くあっさり合格ラインを通過したナヤトレイが涼しい顔でコタツに潜り込むのを黙って見ていないのが先を越されたシベリンだ。
鮟鱇をどこから出したのかはさて置いて、さっきまで傍観を決め込んでいた筈の彼女が一足先にいけしゃあしゃあとコタツで息をつく姿を見て良い気がする訳が無い。
「あ!レイ!きったねぇぞ!!」
そもそも、鍋に加わろうと相手方に交渉を持ちかけたのは自分であって、彼女ではなかったはずだ。それなのに何故、自分ではなく彼女が先にあの温もりの楽園であるコタツに潜り込んで鍋の出来上がりを悠々待っているのだろう。…納得いかない。
更に良い募ろうとする彼を尻目にナヤトレイは自分の器にポン酢を注ぐ。
「貴方が遅いからよ。鮟鱇は自前だから安心して」
意味する所は――――別勘定。鍋が食いたければ自分で何か持って来い、と。
シベリンは考えた。これはあんまりだ、と。無論、共に行動する上できっちり分けなければならない所も勿論、ある。しかし、これは割り勘かどんぶり勘定でもいいだろうに。相手は鮟鱇だ。一匹で二人分くらいあるだろう。通常、食事に行ってもどちらかが払うか割り勘。何もこの場で別勘定にしなくても良いと思う。しかも、その鮟鱇はどこで手に入れてきたんだ。マンドラゴラじゃあるまいし、土から飛び出る訳でもないだろう。いやいや、それはどうでも良いんだ。問題はどうやって自分がこの温もりの楽園に潜り込むかであって、決して鮟鱇の云々ではない…筈だ。気にはなるが。
脱線しかけた思考を無理矢理、断ち切る事で戻して、彼はまた考える。
どうする。どうする、俺。――気分はラ○フカード。内容は「肉」、「野菜」、「酒」、と来たら選ぶのはアレしかない。
「じゃ、俺はコレで!」
「そ、それは!!」
刹那、お蝶婦人もかくやと言わんばかりの稲妻がマキシミンの背後に走る。ニヤリと笑ったシベリンは勝利を確信した。
「これが無きゃあ、始まらないだろう〜?」
がつんとコタツに置かれた茶褐色の大瓶。目立つ和風のラベルには「大吟醸(辛口)」の文字が燦然と輝いている。――――日本酒だ。
鍋にワインだのウィスキーだのの洋酒は邪道だ、とはマキシミンの持論であるが、この万年ド貧乏のマキシミンに大吟醸など買える金がある筈も無いのは周知の事実。勿論、この場にある筈も無い。
ごくり。喉が鳴る。
マキシミンは考えた。これは一大好機だ。有り得ないくらいの高級食材が入った――主に地鶏と鮟鱇――絶品鍋と――自分が作っているのだから絶品でない訳が無い――香り高い大吟醸酒。こんなに良い組み合わせは未だかつて無い。ここで逃せば一生、食えないどころか目にすることも出来無そうだ。…そう。これは好機だ。だが、彼を入れる事によって取り分が減るのも事実。さてはて、どうするべきか。
揺れる天秤を抱えるマキシミンの前にもう一本大瓶が音を立てて現れた刹那、天秤は一気に傾いた。
「実は秘蔵酒もあったりして」
「誰か熱燗準備しやがれ!!!!」
かくして、鍋蓋は開けられた。――――しつこいようだが、森のど真ん中で。
ぐつぐつ。
「うっは。ラッキー!地鶏ゲット!」
ぐつぐつ。
「あ、てめっ、そいつは俺の地鶏だ!!」
ぐつぐつ。
「醜いよ、マキシミン。まだいっぱい入ってるんだからさぁ」
ぐつぐつ。
「熱燗ってこれで良いの〜?」
ぐつぐつ。
「よし!ルシアン、寄越せ!!俺の大吟醸!!」
ぐつぐつ。
「持ってきたの俺だぞー。まずは敬意を込めてお酌して貰わなきゃなぁ、マキシミーン?」
ぐつぐつ。
「ばっ、誰がんな事するか!!さっさとお猪口寄越せ!」
ぐつぐつ。
「うわっ、バカ、押すなよ!」
ぐつぐつ。
「バカね。シベリン、大人気ないわよ」
ぐつぐつ。
「マキシミンも暴れないでよ。みっともないよ」
ぐつぐつ。
「ねぇねぇ。それ美味しいの?」
ぐつぐつ。
「お子様なお坊ちゃまが飲むモンじゃねぇの。ひっこんでろ」
ぐつぐつ。
「マキシミン、ひどーい!!」
ぐつぐつ。
「ルシアン、お前が飲んで良い物じゃないんだ。諦めろ」
ぐつぐつ。
「ボリスまでー!!」
ぐつぐつ。
「まあまあ。良いんじゃねーの?何事も経験だって。なぁ?」
ぐつぐつ。
「わーい!」
ぐつぐつ。
「ほれほれ。ボリスも飲めー」
ぐつぐつ。
「ちょ、俺は…」
ぐつぐつ。
「俺の酒が飲めねぇとでも?」
ぐつぐつ。
「マキシミン。さっきと言ってる事が違…」
ぐつぐつぐつぐつぐつぐつ…。
「うわぁあ!!楽しそうですぅ!!私も仲間に入れてくださぁい!」
輝く星を振りまいて走り出そうとした身体をひっ捕まえて、彼女が如何ともし難い表情を浮かべたのは既に場が宴会に発展した後のことだった。
良い答えを期待しない微妙な間を置いて、彼女――ミラは口を開く。
「……………で?お前ら、何やってんだ?」
「見て判りませんか?…鍋です」
一瞥もくれずにお猪口の中身を飲み干して言ったボリスの周辺には十数本の空の銚子が転がっていた。
終わった…長かった…なんでこんなので中篇なんて書いてんだ…がっくり。
マキシミンは鍋奉行だと思います。春菊は絶対に中盤か最後に入れる筈!!アク取りは刷毛でやってる筈だ…!!
もう、色々ツッコミたい所があるんですが…ツッコミきれない…。
とりあえず、最後のボリスは酔っ払いです。
2007/07/15 |