ねこみみ。
「ルシアン、それは、なんだ?」
ボリス・ジンネマン、オルランヌを出て数年。文節で疑問文を音にしたのは初めてだったかもしれない。
ルシアンがとんでもなく常軌を逸した、破天荒な思考の持ち主である事は、親友という立場上、ボリスは理解しているつもりだった。勿論、それが彼の良い所でもあり、また、悪い所であるのも理解しているつもりだった。若干、幼く見える17歳は――言い方は古いが――ボリスの心のオアシスだったのだ。
が、その破天荒さが今、現在、ボリスを悩ませているのもまた、事実だった。
朝からどこに行っていたのか、走り回って、路地の片隅でやっと見つけた眩しい光を持つ親友が、くり、とその飴玉のような大きな瞳が自分を捉えるのを眩暈がする思いで見る。
「何って、ねこみみだよ?」
傍に走り寄って来た当人はすこぶる嬉しそうだ。その金の髪から飛び出る実にさわり心地のよさそうなふわふわの可愛い……いやいや、奇妙な物を気にする風も無い。
「……そうか……」
「うん!良いでしょ〜!!ふわふわのもこもこなんだよ!」
「……そうか……」
ふわふわの、もこもこか。自ら触って主張してみせるルシアンはすこぶる可愛い……いやいや、うん。まあ、可愛い。可愛いが…あまりに展開が唐突すぎて万年生真面目を通しているボリスにはついて行けない状況になっている。目の前のルシアンは確かに可愛い。元気そうで、嬉しそうなのは何よりだ。ふわりと空気を含んだ少し大きめのねこみみ――淡い桃色にも見える白をベースに先端が濃い灰色に染まっている――も良く似合っている。
半眼でそれを見やって、ぐたったりと項垂れた。
「ルシアン…まさか、朝から居なかったのは、これの為か?」
「うん、勿論!」
即答。身体の重みが増す。…自分はねこみみに振り回されてナルビク中を走り回る破目になったらしい。
くた、と金糸に顔を埋めて凭れ掛かれば、ルシアンがふわふわだと主張して止まないねこみみが頬をくすぐった。――なるほど。確かに触り心地は良い。唇で形を辿って、先端に口付ける。そっと白いコートの細腰を引き寄せて閉じ込めれば、何が可笑しいのか、きゃらきゃらと笑う軽やかな声が鼓膜を撫でた。
苦笑して、ああ、これじゃあ、今更、怒るなんで出来やしない。
「あ、そういえばね」
腰に回した手はそのままに、空いた手で件のねこみみを弄っていたボリスに凭れて、思い出したようにルシアンが口を開いた。
「これを貰う時に変な事言われたんだよね」
「変な事?」
「うん。…えーとね…お代は身体で…だったっけ?ボリスが来たら急に居なくなっちゃったけど」
身体でって、働けって事かなあ。暢気にのたまうルシアンを他所にボリスは血の気の引く音を聞く。暖かな体温を伝える腰を捉えた腕が固まっているのにも気付かない。――ボリスはインスタントな氷河期を味わっていた。
人知れずブリザードが吹き荒れる中、ルシアンの爆弾投下は続く。
「昨日、取引する時も何か変だったんだよね。顔は好みだ、とか、具合がよさそうだ、とか、良い顔しそうだ、とか、なんとか、ぶつぶつ言って…」
「ルシアン」
「ああ、あと萌えがどうとか……ふぇ?何?ボリ……っ!?」
言葉を遮ったボリスに応えようとして、ルシアンは固まった。
「ボ、ボリス…?顔、怖いよ…?」
そう。彼の顔は怖かった。それは修羅をも尻尾を巻いて逃げるほど。戦闘時でさえこんな顔はした事が無かった。それこそ親の敵を見るような目と言っても過言では無い。表情が全て削げ落ちた中で眼だけが獲物を探し、不穏な色でぎらついていた。
する、と蛇が枝から離れるように腰を捉えていた腕が離れる。その手がそのまま剣の柄を掴み、大剣を引き抜く。…彼はキレていた。
「俺のルシアンに手を出そうとは……後悔させてやる…!!」
「だめー!!」
ぐわし。地を這うような一言を合図に今にも獲物を追って駆け出そうとした狼に猫は果敢にも飛びついた。勢い余って二人で路地を転がるも、そんなものはどうでも良い事だ。――とりあえず、ルシアンはボリスを犯罪者にしない為に必死だった。
身体を起こそうと暴れるボリスをしがみついて抑えながら、やはり体格の差には勝てない。
「放せ、ルシアン!!そいつを八つ裂きにしてやる!!」
「だから、だめー!ボリスが殺人犯になっちゃうよー!!」
「構うか!そいつがお前にしようとしていた事と比べたら、八つ裂きでは足りないくらいだ!」
「お代がなんだったのかさっぱりわかんないけど、結果的にタダみたいなもんだったから、良かったんじゃないのー!?」
ぴた。
「何が、良かったって?」
油の切れたブリキ人形の悲鳴が聞こえてきそうな動きのボリスが心底、恐ろしい。矛先が自分に向いた為、彼が犯罪者になる可能性は低くなったが、普段が冷静過ぎる分、こんな時に何をしだすのか、ルシアンには想像がつかなかった。
冷や汗が米神を伝う。
「ええと…だから、ほら、何事も無かったし!」
狼が身体を寄せれば、呆気なく猫は壁に追い詰められた。
「何かあったかもしれないのに?」
確かな意図を持って腰を撫でられて…刹那、身体が震える。
「な、何も無いよ!僕だってタダじゃやられないくらいには強いよ!?」
ねこみみを弄った指先が緩やかに金の髪を梳く。
「俺にはこんなに簡単に追い詰められているのに?」
「そ、それは…っ」
首筋に熱く、濡れた感触。細い筋を辿って昇り、軽く耳朶を甘噛みされて、じわりと熱が滲んだ。――彼に妙な熱が生まれてしまったらしい。激しく後悔するも、後の祭り。
耳に注がれるのは甘く、暗い囁き。
「いけない子だな、ルシアン。お仕置きだ」
「やっ、やだぁーっ!!」
悲痛な叫びは勿論、誰にも届かない。
後日、金輪際、ねこみみは装備しないと豪語するルシアンの姿があったそうな。
あれ?最後は明るく終わるはずだったんですけどね…不発だな、こりゃ。
もしかしたら書き直しするかもしれないですね…。
ちなみにお仕置き内容を書きそうになって無理矢理路線を曲げたのはここだけの話にして置いてください…(笑)
なんで明るくポップな話が書けないのかなぁ。
2007/01/18 |