ひらひら、ひらり。
桜姫
銀色に降り注ぐ桜色は新雪に注ぐようで、その現実では有り得ないような情景にロクシスは刹那、息を呑んだ。
旅立ちを象徴するように咲き誇る桜はもう見ごろを過ぎ、淡い色の吹雪で地面で揺れる若い緑を彩っている。柔らかな日差しが風を暖め、花の香りを運べば、鳥達が色恋を囁くように囀った。――春の情景。溜息が出る程和やかな午後の陽と髪を撫でる風に誘われて湧き上がる眠気を噛み殺し、自室へ戻ろうとしていたロクシスは校庭の隅で桜色の雪を降らせる樹の根元に愛らしい人を見つけて歩を止めた。
「眠っている、のか?」
返る言葉は無い。本当に良く眠っているようだ。そっと近づき、傍らに膝を折っても気付かないのは前線に立つ者としてどうかと思うが、叱咤の言葉が全く出て来ないのは自分が彼に心底、惚れ込んでしまっているからだろう。
安らかなヴェインの寝顔を見ながら苦笑するロクシスの髪が陽光に煌く。
ちらちらと光を弾く銀髪に注いだ桜色の花弁。風に遊ばれたそれが緩やかに滑って落ちて行くのが美しいと思う。いつからここで眠っているのか分らないが、猫っ毛に絡まって積もる花弁を数えれば、そう短い時間でもない筈だ。細い肩や緑の絨毯に投げ出された細い脚にも、制服の青に映える桜色が積もっている。大方、暖かな陽気に負けて目を閉じてしまったのだろうが…やはり前線に立つ者としてこの警戒心の無さはどうかと思う。
制服から覗く白い肌。華奢な身体。今は閉じられている、長い睫毛に縁取られた青い双眸。思わず触れたくなるような滑らかな首筋。少し開いた唇からは静かな寝息が緩やかに漏れ、暖かな吐息でふっくらとした色付きに仄かな湿り気を与えている。――降り注ぐ桜の花弁に埋もれるヴェインは陳腐な言葉を使えば、酷く幻想的で、閉じ込めたくなる程儚く見えた。例えるなら桜の精か、眠り姫。
馬鹿馬鹿しい話だが、そう思えて、しかも焦燥まで沸きあがってしまうのだから、この可愛い眠り姫は性質が悪い。
「…これも惚れた弱み、か。全く、人の気も知らないで…」
人を疑うことを知らない眠り姫。狼が狙っているとも知らないで、可愛い寝息を立てる眠り姫。――ゆっくりと近づいて、誘う唇に引っ掛かった花弁を見つける。
「早く目を覚ませ。でないと、どうなっても知らないぞ?」
桜に埋もれた眠り姫。目覚めのキスは深くても構わないか?
最近、調子に乗ったロクシスをおおっぴらに書いてないなぁ、という思い立ちにより生まれたSS(←当時のあとがきより)
…おおっぴら過ぎる気がしなくもないですが、この後、ロクシスがヴェインを襲っている現場を見つけたアトリエメンバー全員でお仕置きしてあげればいいと思います(酷)
貶されてこそロクシス!(ぇええ)
おいでませ!アウレオルス家!
「これは、君の…家、か?」
「?そうだけど…どうかした?」
さも当然そうに首を傾げたヴェインが理解出来ない。ロクシスは本気で頭を抱えた。足元でサルファが呆れたように、にゃあ、と啼くのが奇妙な侘しさを感じさせて…ああ、畜生。何なんだ、このやるせなさは。
行く宛ても無くふらふらと風に吹かれて飛んで行きそうなヴェインを自分と共に連れて行こうと捕まえたのは卒業式の直後だ。元より、一人で行かせるつもりの無かったロクシスには彼の境遇は多少なりとも好都合だったが、家に残した彼の私物を取りに訪れた、かつての天才錬金術師が暮らした屋敷は兎に角、想像を絶していた。――曰く、人の住める場所じゃない。この山奥の屋敷に来るまでの、最悪に近い、全く整備されていない獣道もそうだが、この家は民家ではなく廃屋だ!
「…君は…ここに住んでいたんだよな?」
「??そうだけど…変?」
「いや…」
無垢な瞳で返されては言葉も無い。実際、生まれてからこの家で暮らしていたのだから、まあ、暮らせるのだろうが。
住めば都。そんな感じなのかもしれない。そう位置付けて、ロクシスは今一度、ヴェインの生家を見た。
外壁は丈夫に作られているのか、多少、朽ちた感はあれど、崩れているという程ではない。玄関口も扉がしっかりと付いていて――修復した跡があるが、なんと、鍵付きだ――最低限の防犯は為されている。しかし、その防犯面の度合いを著しく損なわせているのが意外と数の多い窓だった。嵌め込まれた硝子が小気味良く割れ、鋭利な刃を晒している様はどう見ても廃墟の象徴にしか思えない。
溜息に重さがあるなら地を底まで抜けただろう、溜息を零して、肩を落とす。――こんな事なら、学園でもっと早くにヴェインに優しくしていれば良かった。勿論、これから嫌という程、甘やかしてやるつもりだが…立ち寄った町の住民の反応とこの家を見れば、彼がお世辞にも良い環境に居たとは言えなくて…刺すような後悔が襲って来る。
「ロクシス…大丈夫?気分、悪いの?」
この環境で、どうしてこんなに愛らしい子が育つんだろうか。真に疑問だ。
なけなしの私物を鞄に整理しながら、大きな目を瞬かせて心配そうに覗き込んでくるヴェインがどうしようもなく愛しい。抱きしめたい衝動を抑えて、大丈夫だ、と微笑めば、安堵したように暖かく微笑む可愛い彼。これ以上、苦しまないように、悲しまないように、誰よりも傍に居たいと思う。
気を取り直し、荷造りを手伝おうとしたロクシスの手が再び、止まる。視線はヴェインの手元だ。
「…ヴェイン?それは?」
「えっ?…えっと…えぇっと…あぅ…」
訊いた刹那、顔を真っ赤にして手にしたそれを抱き込んでしまう。どう説明したらいいのか考えあぐねているのだろう。逡巡する様子は可愛らしいが抱き込んだそれが気になる。――その、ぼろ布といって差し支えないような、シャツが。
「ヴェイン?」
「あ、あの……あの、ね…僕、私服ってあんまり持ってなくて…まともな服って、この制服くらいしかなくて…」
つまり、学園に来る前は破れた服をなんとか着て寒さ暑さを凌いでいた、と。ロクシスにしてみれば、目の前が白くなる現実だ。
夏は良いとして、山奥の寒さは厳しいだろう。食料の調達も大変だったに違いない。広い家で猫と二人。こんなぼろぼろの服を着て、世界の広さと人との関わりを知らずに生きてきた。――ああ、もう、畜生。転校したばかりのくだらない嫉妬に燃えていた自分を殴り飛ばして消し炭にしてやりたい。
とりあえず。
「ヴェイン」
「は、はいっ」
ぽん、と突如、両肩に置かれた手に細い肩が飛び上がる。――そう、とりあえず。
「服を買いに行こう」
私が君に似合う服を選んでやる!
OPのヴェインの服がぼろぼろだったよね、というプレイバックからの産物でした…。あと家もかなりぼろぼろだった気がするので…。暮らすのは大変そうですよね…本当に…森の妖精さんですよ、ヴェインは…(涙)
というか、ロクシスの選ぶ服とか…若干マニアックな感じになりそうですね…。当時はチャイナとかメイドさんとか着せてるんだよ、とか言っていた覚えがあります(笑)
手繋ぎ
きゅう、と繋がれた手が熱い。離すのが惜しくて、少し強く握れば、応えるようにまた、きゅう、と力が入る。
「…ロクシス…もうちょっとだね」
応えてくれた手に、また少し力を込めて、返した。
学園に来るまでは不安だけだったのに、学園から出る時はそれが寂しいなんて、おかしな矛盾だと思う。こんなにも人の温かさが嬉しかったなんて、それがまた冷たさに変わってしまうかもしれないだなんて、それが…寂しいだなんて。何より、繋いだこの手を離すのが嫌だなんて。自分はいつからこんなに我侭になったのだろう。
見えそうな岐路が、いつまでも見えなければいいのに。
「もうちょっと、だね」
何も言ってくれない彼の手が緩んで、また強く握り返してくれる。――寂しい。寂しい。悲しい。一人にしないで。そうやって喚けたらいいのに。そんな度胸もない。分かれ道はすぐそこ。
横へ逸れて、手を緩める。
「じゃあ、僕、こっちだか…うわあ!?」
離れようとした、刹那。一際強く握られた手が引かれて――気付けば、身体ごと腕の中。とくとくと脈打つ優しい音がヴェインの身体を繋ぎとめる。
「やっ、ちょ…!離してよ!」
これ以上、傍にいたら、離れられない。逃れようと暴れる温もりを抱きしめて、耳元で彼が囁いた。
「逃がさない」
手は繋いだまま。青い瞳が潤んで歪む。――期待させないで。絆されて力の抜けてしまう自分の身体が恨めしい。けれど、大人しく囚われてしまった辺り、初めから抵抗する気などなかったのかもしれない。
震えるヴェインを引き寄せるロクシスの腕が拒絶を退ける。
「逃がさない。何のために手を繋いでいると思っているんだ?」
強い力とは裏腹に優しく吹き込まれる声音が甘くて、嬉しい。
「君が歩くのは、私の隣だ」
聞いた、刹那。ぽろぽろぽろぽろ。頬を伝う雫の感触。歓喜で心が壊される瞬間というのは、こんなものなのかもしれない。言葉一つが嬉しくて嬉しくて嬉しくて、暖かくて、とにかく、色々なものが溢れて、返したい言葉が見つからない。ただ、縋り付いて、彼の服が濡れるのも構わずに頬を摺り寄せて、言葉の変わりに手をきつく握る。
しゃくりあげるヴェインの涙を唇で拭って、ロクシスが笑った。
「君は途端に泣き虫になったな」
そんなのは君の前でだけだよ、きっと。なんて…後もう少し泣いたら教えてあげる。
この先も、ずっと手を繋いだままで。
春といえば卒業、卒業といえばお別れだよね!という妄想により生まれた産物。
最初はうまくやっていけるか心配で帰りたいなぁ、なんて思っていたヴェインも最後は皆を大切に思ってましたからね!卒業できるのは嬉しいけど、離れたくないなぁ。とか思ってたりしたんじゃないかと思います。
………というか、毎度毎度…多分、このSS自体、いつのものなのか…。
2008/04/08 |