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Flower
馬鹿みたいだなんてことはよくわかってるけれど
仕方ないじゃないか

これ以外に方法なんてわからないんだから


- + -


 休み時間。そこかしこから響くざわめきをぼんやりと聞き流していたユンの耳に、隣の席の少女の声が一際大きく響いてきた。

「ねぇ、知ってる? 昨日も、ですって」
「あそこの花屋さんでしょ? 勿論行ってみたわよ」
「ロゼリュクス・マイツェン!」

 唐突に少女の口から出てきた単語に、ぴくりと身体が反応する。
 ロゼリュクス。一つ下の後輩。ルームメイト。そして、つい最近感情を確かめ合った恋人。
 思わずその女生徒を問い詰めそうになるのをすんでの所で抑え、さりげなさを装ってその会話に割り込む。

「…何の話だ?」
「あ、ユン君。ユン君は知らない?」
「何をだ」

 その努力が功を奏したのか、女生徒は疑うことも無くユンを会話に受け入れた。
 最も、ユンが口を挟めたのはそこまでで、後は彼女達が勝手にぺらぺらと言葉を続けてくれたのであるが。

「あのね、学校の近くに花屋さんあるでしょ? ここ最近、そこで毎日みたいに見かけるの」
「いつも同じ花を一輪、綺麗にラッピングしてもらっててね。誰に贈るのかしら、って噂になってるのよ」
「案外、店員目当てだったりして!」
「え、そんなの嫌!」

 そのかしましさに僅かながら引きつつも、手に入れた情報に考えをめぐらせる。
 思いを通じ合わせるのと前後して、彼の父親――ユルゲンが長期出張に出かけてしまって今ロゼリュクス――ロゼは自宅通学中だ。そうでなくともトラブルメーカーが周囲に多い彼はその気質ゆえかそれを放っておけず、何だかんだと校内を駆けずり回ってユンとの時間が取れずにいる。
 一昨日だったか、食堂で偶然一緒になったその時は僅かに落胆したような雰囲気で「すまない」と小さく謝ってくれもしたのだが…。

「……そうか」

 そうこうしている内に授業開始のチャイムが鳴り響き、ユンの思考はそこで中断された。


- + -


 からん。
 自動ではないドアにつけられた小さな鐘が、それに相応しい控えめな音を響かせる。

「いらっしゃいませ」

 その音に顔を上げて笑顔を浮かべた女性は、客が見知った少年で、その手に握られているのがいつもの花であることに気付いて穏やかに問いかけた。

「今日はどのように?」

 女性の言葉に、少年は所狭しと並べられたラッピング用のリボンに視線を走らせる。
 つと、その目が一点で止まると同時、少年はそれを指差して小さな小さな声で告げた。

「それ。……その、空色、で」

 少年が指差したのは、今日の空にも似たくっきりした青。メタリックに光るそのリボンを適当な長さに切ると、女性は少年から受け取った花を手際よく包みあげる。
 ラッピングされたそれを受け取った少年は小さく会釈をして店を出て――そこでぴたりと足を止めた。

「誰に、だ?」

 問いかける声は、何処と無く硬質だ。
 つい最近までは常のように目にしていた鮮やかな炎の色をした髪と目の恋人――ユンに僅かに目を瞠った少年――ロゼはそっと視線を逸らして呟いた。

「……別に…誰にも」
「なら、あの店員と少しでも話したい、か?」
「アンタには関係無い」

 静かに言い切って、その場から踵を返す。

「……」

 黙したままその背に視線を送っていたユンは、聞こえよがしなため息を吐くとこれまた聞こえよがしな声で口を開いた。

「そうか。なら、好きなようにすればいい。こちらも好きに」

 ばしん!
 ユンの言葉は、突然の衝撃に遮られた。
 ゆっくりと首を回すと、いっそ憎しみと見紛うような強い感情を宿した目で自分を睨みつけているロゼと目が合う。その手に持たれていた一輪の花は、今はユンの足元に転がっていた。ロゼが思い切り投げつけてきたのがそれなのは明らかだ。
 痛くは無い。ただ、それが信じられず呆然としているユンの前でロゼは再度ユンに背を向けた。

「待て。これは、いいのか?」

 そのまま去ろうとするロゼに、花を拾い上げて声をかける。
 よく見れば見事な一輪だ。散々な扱いをされたからだろう少々傷みが見えるが、その香りはまだ強く瑞々しい。

「……一つ、言っておく」

 ぽつりと呟いたロゼは、視線だけをユンに向けて言葉を続ける。

「俺はその花が嫌いだ。この世で一番嫌いだ」

 それだけを告げたロゼは、今度こそ振り返らずに歩みを進める。
 少しずつ遠ざかる背中を、ユンはただただ見送るしかできなかった。


- + -


 何故ここに来たのか自分でもわからない。
 ただ、ここは何と言うか居心地がいいのだ。それは多分、先客であったこの青年――とは言っても一つ上であるだけだが――も同様なのだろう。
 ユンの視線の先で、かなりな時間であるにもかかわらず資料室に陣取ってゆったりとしていた青年――ルゥリッヒは、突然の訪問者に驚くでもなくただ一瞥だけをくれた。
 しかし、今回はその視界の端に普段に無い色彩をとめ、軽く首を傾げる。

「あれ、どうしたのその花」
「拗ねた恋人に投げつけられた」
「おやおや」

 君の方が拗ねているんでしょ、と指摘したくもなるようなユンの口調に、ルゥリッヒは口元に手を当てて困ったような笑みを浮かべた。
 蛍光灯の元でも目に鮮やかな黄をした花。確か『陽光』といった感じの品種名で売られていた気もするが、今この場合重要なのはそこではない。

「ロゼリュクスも随分可愛らしいことするんだねえ。ダメだよ、泣かせるようなことしちゃ」

 くつくつと抑え気味ながら笑い声をもらすルゥリッヒに、怪訝な表情をしてユンは問う。

「……どういう意味だ」
「ああ、知らない? 君の故郷ではどうかわからないけど」

 言いながら、そのしなやかな指先をぴたりとユンの手にしている花に当てる。

「その花の……その色のその花、って言うべきかな? その花言葉はね『嫉妬』なんだよ」

 さらりと告げられた言葉に、しばしの間ユンの思考回路は止まっていた。


- + -


 寮の自分のベッドにごろりと寝転がり、ぼんやりと天井を見上げる。
 今日は着替えさえも面倒臭い。何と言うか、半日にも満たない間に許容量以上の色々を無理矢理に詰め込まされた気分だ。
 大きく深いため息と共に、思い出すのは先刻の会話。


『心当たりは?』

 さも楽しそうに問いかけてきたルゥリッヒに向かって、憮然とした表情で答える。

『わからない。したいのはむしろこっちの方だ』
『よく考えてみなよ。どんな些細なことでもいいからさ』

 君にはどうってことなくっても、ロゼリュクスは嫌って思うことだってたくさんあると思うよ?


 むくりと身を起こし、捨てるに捨てられず部屋まで持って帰ってきてしまった例の花に視線を投げる。

「……」

 『嫉妬』を表すと言う花。
 嫌いだ、と言った花。
 手に取り、ぼんやりと眺める。かさりとセロハンが鳴り、飾られたリボンがちくりと皮膚を刺した。
 黄色と相まって目に痛いぐらい鮮やかな空色。

(空色……空色?)

 よく見れば、どこかで目にしたような気のする色だ。しかもつい最近に。
 瞬間、色にまつわる記憶が堰を切ったようにあふれ出した。

「 !! 」

 確か、昨日のことだ。見も知らぬ女生徒に呼び出され、恋文を差し出された。その場で丁重に断ったが、その封筒の色が、丁度この色にも似た青い蒼い封筒だった。
 まさか、と思う。だがそれ以外に考えられることは無い。
 花を手にしたまま、転がるようにユンは部屋から駆け出た。


- + -


 今までに数えるぐらいしか辿ったことの無い、住宅街の中を息を切らせて走る。
 その途中、緑化地帯として残された小さな公園の傍で、どうやら買い物帰りらしいロゼと偶然に鉢合わせた。
 向こうも驚いていたようだが、こちらの驚きはそれ以上だ。
 だが、またとないチャンスでもある。偶然の出会いを何かに感謝しつつ、有無を言わさずにその腕を引っ張って公園のベンチに腰かけさせた。

「何だよ。これから食事だったんだぞ」

 口調こそ不機嫌そのものだが、立ち上がって帰ろうとはしない辺りに少しばかり安堵する。

「すぐ終わる……この、花」

 呼吸を落ち着かせ、ゆっくりと口を開く。
 その視界に入るように、例の花を取り出して見せながら。

「『嫉妬』らしいな。……いつからだ?」
「……―― 先々週ぐらい、に」

 しばしの沈黙の後。僅かに目を伏せ、ぽつぽつとロゼは言葉を紡ぎ始める。

「アンタのこと、クラスの女子が話してて。それまでは、別にどうもなかったのに。何か、突然、胸がもやもやしだして」

 くしゃりと、ロゼの手の中で袋が小さく音を立てる。
 その眉根はいつの間にか寄せられ、はっきりと見える皺を刻んでいた。

「オレンジ色のヘアピンだけ、覚えてたから。オレンジ色のリボンで包んでもらって。そしたら ……そしたら、何となく、気分が楽になって」

 それ以上は言葉に出来なかったのか、ロゼは口を尖らせて顔を背ける。
 長めの髪からちらりと覗く耳は真っ赤に染まっており、結構な状況にもかかわらず微笑ましい。


『本当、可愛らしいことするよねえ』
『醜い感情を綺麗な花に置き換えて。自分で浄化しようとするなんてさ』


(……全くだ)

 思わず口元に笑みがこぼれる。
 口下手で不器用で、けれど一途で純粋で綺麗な、愛しい相手に。

「ロゼ」

 呼びかけた声は自分でも笑ってしまいそうなぐらいに甘かった。

「俺は、言ってくれなければ、わからない。少しずつでいい。言うようにしてくれないか?」
「……」

 リボンよりもなお鮮やかな空色を湛えた瞳がユンに向けられる。
 多分、これ以上に美しい色彩はそうないだろうと思う。その名の元となった存在でも。

「……わかった」

 じっと合わせていた視線を不意に逸らして、ロゼはやっと聞き取れるぐらいの声で答えた。


- + -


 数日後。ユルゲンが出張からようやく戻ってきたロゼは、再び寮生としてユンの部屋に戻ってきていた。
 2人で思い思いの時間を過ごしながら、ふと、ユンは思い出す。

「そういえば」

 ん?という表情で自分を見やってきたロゼの目を見返し、淡々と問うた。

「買った花は…あれは結局どうしたんだ」

 その言葉に、ロゼはわかりやすく身体を硬直させた。
 ぎぎぎ、とぎこちない動作でユンから視線を逸らし、「あー」とか「うー」とか言葉にならない声で唸っている。その顔は耳をこえて首まで赤い。
 ややして、ひとしきり悩んだらしいロゼはユンを睨みつけながら低い低い声でぼそりと言った。

「……笑うなよ」
「? ああ」
「…ドライフラワーにした」

 それはとにかく低くて小さい声だった上に早口ではあったが、ユンにははっきりと聞き取れた。

「……ドライフラワー?」
「……あぁ」

 鸚鵡返しに問い返してきたユンに、憮然とした表情でロゼは答える。
 あの鮮やかな黄が少しずつ褪せていくのを眺めていると、それと一緒に自分の中に芽生えたあんなに辛くて苦くて醜くて汚い感情も消え失せていくような気がしたのだとは……ちょっと言えない。余りにも思考回路が女々しすぎて。

「そうか…それなら、一緒に燃やすか?」
「え……」

 だから、最初ユンに何を言われたのかロゼは聞き漏らしてしまった。

「もう必要ないだろう?」

 きょとんとした表情を浮かべたロゼに笑いかけ、そう続ける。
 しばし、その言葉の意味を考えていたロゼだったが。

「そうだな」

 小さく頷くと、ユンに微笑み返した。


§END§


Kardinalrotの塚崎 咲夜さんから頂きました!
咲夜さんのお誕生日に贈りつけた(オイ)SSのお返しにこんな素晴しい花束が頂けるとは…!!思いがけないサプライズで鼻血垂らしながら読みました(笑)
嫉妬を花に例えて昇華しようとするロゼが可愛すぎます!ユンに花を叩きつけるとか、「その花が一番嫌いだ」とか言っちゃうのとか、大好きです!大好きです!!(二度言った)
鈍いユンがルゥに助けを求める(?)場面も何気に楽しくてお気に入りだったりします。乙女心がわかるルゥリッヒ!!
咲夜さん、萌えの花束を有難うございました!

塚崎 咲夜様のサイトはこちら。