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 いつまでも保護者でなんかいられないだろう。

友人以上恋人未満、準家族

 彼女が自分にとってどういった存在であるのか明確であったのは、いつ頃までだっただろうか。――夕暮れに染まる町並みを眺めながら帰路を辿るステルクの足は相変わらず単調だったが、彼自身の感覚としては足首に鉛を嵌めているようだった。
 ロロナとどのような関係なのかと問われて、答えに窮するようになったのは随分、前からだったような気がする。
 友人だといえばそうだろう。少なくとも、単なる知人というには関わりが深いと思う。しかし、親友かと言われればそれは否だ。クーデリアのように彼女に接する事は自分には到底、無理な話で、そもそもそのように接しようとは思わない。けれども、単なる友人かと言われたなら…それはそれで微妙な気分だった。保護者のようだと言われると尚更、奇妙な感覚に陥る。その空虚に似た感覚に具体的な名を称するなら、落胆だとか、不満だとか、おそらく、そんなものなのだろう。
 さて、ここでまた話は振り出しに戻る。――彼女が自分にとってどういった存在であるか。どのような関係なのか。
 己惚れかもしれないが、現在、彼女の自分に対する態度は恐れや嫌悪――初めから彼女が嫌悪の眼差しを向けてきた事は一度もないが――ではないと自負している。寧ろ、好意的だとも。
 それは当初の彼女からすれば多大なる進歩だ。初めの頃の彼女ときたら、自分を見る度に怯えて、するはずの無い失敗を繰り返していた。それにどこか寂しさに似たものを覚えていたのは確かだが、今の関係に重点を置くなら、それも思い出というやつだろう。
 同居するようになってから双方共に随分、違う面が見られるようになったのも態度が緩和した要因の一つだと思う。
 常のそそっかしさからは意外な程――これは彼女に失礼だと思うが仕方ない――てきぱきと家事をこなす彼女は正直、調合をしている時とは別人にすら見えた。
 特筆して、料理の腕は時折、ちゃっかり城を抜け出して夕餉のテーブルに席を作る国王陛下も唸るほど素晴らしい。あのイクセルが妬むのも頷ける。そのおかげでステルク自身の外食の回数がかなり減ったのは、なんというか、エスティにからかわれても弁解のしようが無かった。事実、今日も重みを感じる足が確実に家に向かって歩を進めている上、密かに今夜の献立に期待している自分がいるのだ。
 見えてきたアトリエの看板が風に揺れている。戸口に人影が無いところを見ると今日は無事に営業を終了したらしい。
 ほっと息をついて握るドアノブの冷たさを妙に不快と感じると同時に彼女の手の暖かさが記憶を掠めるのは彼女と過ごす時間が増えたからだろうか。思いながら、扉を開けた先で無表情なもう一人の同居人――ロロナに言わせれば豊かになった方だというがステルクには全くわからない――が頭を下げた。
「おかえりなさい」
「…ただいま。ロロナは…」
 室内に踏み込んだ途端、鼻を擽る良い香り。戸口にまでそれが漂ってきているのだから彼女は台所にいるのだろう。食器を運ぶくらいは手伝えるかもしれない。
 無言で佇むホムに彼女の所在を聞こうとするのと、思い描いた彼女が暖かな笑みと共に姿を現すのは同時だったと思う。
「おかえりなさい!ステルクさん!ご飯出来てますよ。あ、それとも、お風呂、先に入りますか?」
 こうした気遣いが出来るのは彼女の美点だ。聞く者が聞けばあらぬ誤解を招きかねない言葉だが、実際に言われてみれば悪い気はしないどころか、その優しさに硬い硬いと評判の顔が有り得ない程、緩んでしまうから彼女の天然魔力は侮れない。
 無論、こんな所を見られた日には先輩を始め、同僚からもからかい倒される事は間違いないだろう。しかし、どれ程、ロロナが手馴れた動作でステルクの脱いだ外套を当然のように受け取ろうと、「シャツにアイロンかけて置きましたよ」なんて会話がされていようと、二人は世間が下世話な想像をするような仲ではないのだから問題は無いのだ。…多分。
 そう決め付けた刹那、胸を襲う奇妙な感覚に、きちんと閉めたタイを少しばかり緩めようとした動きが止まった。――――待て。何故、ここでおかしな感覚を味わわなければならない?「多分」などという言葉をつけなくても、彼女と自分は…。
「?ステルクさん?」
 耳に届く、愛らしい声音が遠くへ行きかけた意識を引き戻す。
「あ、ああ、すまない。先に食事を済ませよう。君も腹が減っているだろうし」
「わかりました!ほむちゃん、手伝ってー。ステルクさんは着替えてきて下さいね!」
 返した言葉に一層、青い瞳を煌かせ、ホムを連れて跳ねるように台所へと駆け戻っていくロロナの小さな後姿を見送る彼が漸く動き出したのは、それから暫く壁を隔てた向こう側から聞こえる声を聞いてからだった。

 さて、何度目だろう。話は振り出しに戻る。――彼女が自分にとってどういった存在であるか。どのような関係なのか。
 そろそろ答えは出ているが、認めるにはあまりに彼女はそういう欲望から守られた存在のような気がしてならない。いくら彼女の師匠があれやこれやと仕込んでいたかもしれなくても彼女の纏う空気は柔らかすぎて、清浄ですらある。そんな彼女に「そういう感情」を向けるのが果たして良い事なのか、元来、真面目一辺倒のステルクには判断に迷う所だった。
 食事を終えて、ソファで独り、本のページを手繰る男は全く頭に入ってこない文字列に溜め息を零しながら、それでもゆったりと本を読んでいるふりをする為に組んでいた長い足を組み替える。
 後片付けを任せてくれと言ってまた台所に引っ込んだ彼女はもうすぐ仕事を終え、入れたての紅茶を二人分、盆に載せてやってきて、触れるか触れないかの微妙な距離を置いて隣にちょこんと座り、今日あった出来事をそれは楽しそうに語ってくれるに違いない。――最近、密かに気に入っている時間が刻一刻と近づいている事に益々、読書が形だけになる。
 そうして心が躍る反面、考え続けている彼女へ抱く想いについて、これを向ければ、美しく可憐に咲く花を手折るような残酷さで彼女を変えてしまうかもしれないと、情けないながら怖れに似たものがあるのを確認して、また溜め息を零した。臆病者と言われればそれまでだが、裏を返せばそれだけ彼女を想っている事になるのではないかと言い訳染みたものを誰にとも無くしてみるのは――やはり後ろめたいからだろう。
 しかし、これ以上、「ただの同居人兼保護者」という枠組みに納まっているのはどうも我慢なら無い。街で「兄妹みたいね」なんて言われているのも正直、面白くないのだ。エスティがしてくるように色事関連でからかわれるのもどうかとは思うが、ロロナが多少でも意識してくれるならそれもアリなのかもしれないと思ってしまう辺り――少々下世話な表現だが――相当、キている。
 調合の失敗が少なくなっていくにつれ、募っていく焦りも気のせいには出来ない。時間切れはもうそこまで来ているのだろう。
「ステルクさーん、紅茶入れましたー」
「ありがとう。すまないな、全て任せてしまって」
「いえいえ!これくらい!」
 華奢な白い手から暖かなカップを受け取る夜を過ごすのは、あと何回くらいだろうか。――――自分以外の存在で静かに沈むソファが、愛しい時間の合図だ。
 同じポットから入れられただろう紅茶で喉を潤して話し始める彼女の穏やかな声音にそっと笑みが零れた。
「今日は調合失敗しなかったんですよ!それから…」
 依頼があった。新しいパイを作った。ホムと試食した、等々。湧き水の如く溢れ出す平穏な日の何という事は無い話題。それらが明るい表情で語る彼女の声で彩られているだけで…。
 穏やかな思考に身を浸していた彼は、しかし、次の瞬間、見事に凍りついた。

「そういえば、今日、お客さんに『いつも見てます』って言われたんです」

 瞬間、青褪めたのは、多分、自分だ。
「……なん、だと…?」
 いつも、見ている?
「綺麗な薔薇も貰ったんですけど、ほむちゃんが間違えて暖炉にくべちゃって」
 残念だったなぁ、なんて言う彼女には悪いが、ステルクが今、脳裏で並べ立てるのはホムに対する感謝の言葉ばかりだ。――よくやった、ホム。偉いぞ、ホム。もっとやれ、ホム。寧ろ、そいつをロロナに近づけるな。
 「いつも見ている」と言いながら贈る薔薇の花。十中八九、ロロナへの恋情を表したものだろう。まずい。彼女が愛らしいのは同居している自分が良く知っているが…いや、今はそれが問題ではなく、「いつも見ている」なんてそれは間違いなくストーカーだ!いやいや、それは、良くないが良いとして、彼女に恋情を抱く男が他にいるのは非常にまずい。
 時間切れがどうの言う前に先を越されては情けなさすぎる!――――焦りに押されて決めた男は早かった。
「ロロナ」
 ぱたり。硬い呼びかけと共に、ステルクの手元で分厚い本が音を立てて閉じられる。
「はい?」

「そろそろ関係を変えないか?」

 君と私の、中途半端な関係を。
 囁くように言葉を贈って顔を近づければ、目を見開いた君の、まだ触れた事の無い柔らかそうな白い肌が真っ赤に染まったのは、あまりに君に焦がれすぎた故の私の幻想では無いはずだ。
 だって、そうだろう?

 その後、唇で触れた君の頬は間違いなく熱かったのだから。



ステルクさん、危機感を感じて一大決心をする、の巻き(何)ぐるぐる考えているスケさんを書くのが非常ーに楽しかったです。あと、新婚夫婦さながらのステロロの会話とか(ぇええ)まだ未婚ですよ、未婚。でも準家族(…)
恋人になる前はスケさんがロロナと兄弟とかに間違われたりしてちょっとムッとしてるとイイと思います。で、恋人成立後には反対になる、と。ちょっとムッとしてもやもやしてるロロナとか…可愛いと思うんだ!
ちなみに、「関係を変えないか」発言の後にロロナに見当違いの応えを返させようと思いましたが収拾がつかなくなりそうだったのでやめました(笑)

ロロナに薔薇を贈ったどこぞのストーカーは後日、ホムに闇討ちされていると思います。

2010/05/07